コーヒーブレークQ&A その仕事どれくらい時間かかった?

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前回の記事では、賃金の控除協定について労働者からの相談を想定して、Q&A方式で簡単に判例を交えながらお伝えしました。

今回は、使用者側からの相談を想定して、事業場外労働時間制についてのおさらいをしてみたいと思います。 

Q. 

当社は、宅地建物取引業者です。最近大手不動産会社の企画業務型裁量労働制が本来適用すべきでない従業員に適用されていた不適切な運用の問題で監督官庁から特別指導がなされていた話題が新聞を賑わせていますよね。当社は、裁量労働制を採用しているわけではないのですが、営業社員に1日9時間のみなし労働時間制を採用して、協定を労働基準監督署に届け出ています。ところが、最近の連日の報道に触発され社員が1日10時間以上は労働していると差額分の未払い残業代を請求したい旨の申し出を受けて困っています。当社としては、みなし労働時間制は、実労働時間と関係なく協定した時間労働したものとみなす制度で、その時間分給与を払っていれば問題ないと思っているのですが、最近の報道で多少不安になっています。

A.

労働基準法は、その違反に対して刑罰が科せられることを定めることによりその履行の確保をが図られている刑罰法規です。そしてその義務規定の履行義務主体は使用者とされています。労働基準法はその32条で1週間については休憩時間を除き40時間を、1週間の各日については、休憩時間を除き8時間を超えて労働させてはならないことを義務付けています。使用者がその定めた時間を超えて労働させた場合には犯罪構成要件が成立し割増賃金支払い義務が生じるということになります。そのことからも、労働基準法上の労働時間の適正把握義務は使用者にあると考えられています。

「賃金不払残業の解消を図るために講ずべき措置等に関する指針」(平成15年5月23日付け基発第0523004号)でも、使用者の労働時間適正把握義務について次のように述べています。

http://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/kantoku/dl/040324-3a.pdf

1 趣旨 略

2  労使に求められる役割
(1)略

(2)使用者に求められる役割
労働基準法は、労働時間、休日、深夜業等について使用者の順守すべき基準を規定しており、これを順守するためには、使用者は、労働時間を適正に把握する必要があることなどから、労働時間を適正に管理する責務を有していることは明らかである。
したがって、使用者にあっては、賃金不払い残業を起こすことのないよう適正に労働時間を管理しなければならない。

以上のように、本来使用者には労働時間の把握算定義務があるのですが、使用者の監督の及ばないような場所での業務の場合にはその労働の特殊性から、全ての場合についてこのような義務を認めることは困難と強いる結果になることから、一定の労働時間があったものと法的に取扱うこととする制度が「みなし労働時間制」という制度であり【ほるぷ事件(東京地判平成9年8月1日・労判722号62頁)】、現行労基法上のみなし労働時間制には、業場外のみなし労働時間制(労基法 38 条の 2)と、裁量労働のみなし労働時間制(同法 38 条の 4)があります。

労働基準法第38条の2】

労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。ただし、当該業務を遂行するためには通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合においては、当該業務に関しては、厚生労働省令で定めるところにより、当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみなす。

前項ただし書の場合において、当該業務に関し、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定があるときは、その協定で定める時間を同項ただし書の当該業務の遂行に通常必要とされる時間とする。

使用者は、厚生労働省令で定めるところにより、前項の協定を行政官庁に届け出なければならない。 

 原則使用者には、労働時間についての適正把握義務があるわけですから、その責務を免除するかたちとなるこの「事業場外のみなし労働時間制」に関しては、厳格に運用されることが求められているとされています。当時の厚生労働省通達( 昭和63年1月1日 基発第1号、婦発第1号)によれば、事業場外労働の範囲について次のように述べています。

(昭和63年1月1日 基発第1号、婦発第1号)

 事業場外労働の範囲

事業場外労働に関するみなし労働時間制の対象となるのは、事業場外で業務に従事し、かつ、使用者の具体的な指揮監督が及ばず、労働時間を算定することが困難な業務であること。したがって、次の場合のように、事業場外で業務に従事する場合であっても、使用者の具体的な指揮監督が及んでいる場合については、労働時間の算定が可能であるので、みなし労働時間制の適用はないものであること。

[1] 何人かのグループで事業場外労働に従事する場合で、そのメンバーの中に労働時間の管理をする者がいる場合

[2] 事業場外で業務に従事するが、無線やポケットベル等によって随時使用者の指示を受けながら労働している場合

[3] 事業場において、訪問先、帰社時刻等当日の業務の具体的指示を受けたのち、事業場外で指示どおりに業務に従事し、その後事業場にもどる場合

 その運用に対する厳格性の要請から、上記赤ゴシックの2つの要件を満たすことが必要となるわけです。

典型的には、自宅から会社に寄らず直接取引先に出向いて営業活動をするような外勤営業マンや、取材活動で飛び回る記者や、出張などの臨時的事業場外労働によって労働時間の算定が困難となる場合を対象としていて、このような労働者の労働時間の算定を、実際の労働時間にできるだけ近づけて適切に行われることをめざす便宜的な算定制度である厚生労働省 HP版調整事件解説集⑬ 事業場外みなし労働時間制の適用)

 とされています。

御社は営業マンにこの事業場外のみなし労働時間制を適用しているということですから上記①事業場外の業務に従事という要件は満たしていることになります。従って、その営業マンたちが従事する業務態様が次の②の使用者の具体的な指揮監督が及ばず、労働時間を算定することが困難な業務であることという要件を満たしているか別途検証する必要があります。御社の具体的な営業マンの業務態様については設問からは詳細なことが解りませんが、参考になるかもしれない判例として同じ不動産会社のレイズ事件(東京地裁平成22年10月27日・労判1021号39頁があります。被告会社を解雇された当時営業本部長の地位にあった原告が時間外・休日労働にかかる未払賃金の支払いを求めたのに対し、被告会社は、原告が管理監督者にあたること、事業場外みなし制度が適用されることなどを主張して争った事件で、結論としては、事業場外みなし労働時間制が否定されています。

(前略)・・・そして、使用者は、本来、労働時間を把握・算定すべき義務を負っているのであるから、本件みなし制度が適用されるためには、例えば、使用者が通常合理的に期待できる方法を尽くすこともせずに、労働時間を把握・算定できないと認識するだけでは足りず、具体的事情において、社会通念上、労働時間を算定し難い場合であるといえることを要するというべきである。(中略)Xが従事した業務の一部又は全部が事業場外労働(いわゆる営業活動)であったことは認められるものの、Xは、原則として、Y社に出社してから営業活動を行うのが通常であって、出退勤においてタイムカードを打刻しており、営業活動についても訪問先や帰社予定時刻等をY社に報告し、営業活動中もその状況を携帯電話等によって報告していたという事情にかんがみると、Xの業務について、社会通念上、労働時間を算定し難い場合であるとは認められない
また、Xは、営業活動を終えてY社に帰社した後においても、残務整理やチラシ作成等の業務を行うなどしており、タイムカードによって把握される始業時間・終業時間による限り、所定労働時間(8時間)を超えて勤務することが恒常的であったと認められるところ、このような事実関係において、本件みなし制度を適用し、所定労働時間以上の労働実態を当然に賃金算定の対象としないことは、本件みなし制度の趣旨にも反するというべきである。

 と判決の中で述べ、被告会社は、原告に対し、時間外労働や休日労働を命じていない旨主張し、これに沿った証拠もあると認めながら、原告らが出社時及び退社時にタイカードを打刻していたことから被告会社が原告らの勤務実態を把握していたこと、被告会社は、従業員の労働管理の責任を負う使用者として、仮に原告らが業務指示に反する形で勤務していたならば、その旨注意ないし指導すべきであるが、そのような事情はうかがわれないこと、原告らの時間外労働及び休日労働は恒常的なものであったと解されることをも併せ考えると、原告らは、少なくとも被告会社による黙示の指示に基づいて業務(時間外労働及び休日労働)に従事していたものと解されるとして、事業場外のみなし労働時間制の適用を否定しています。

地裁レベルの判決ではありますが、上述のとおり、事業場外のみなしの2番目の要件については、使用者が通常合理的に期待できる方法を尽くすこともせずに、単に労働時間を把握・算定できないと認識するだけでは足りないとしており相当厳しい姿勢を感じられます。

 因みに、事業場外労働に該当する場合には、その労働時間は以下の3つのいずれかの時間とみなされることになるとされています。

① 所定労働時間(38 条の 2 第 1 項)

② 通常必要とされる労働時間(同条 1 項但書)

③ 労使協定による労働時間(同条 2 項)

上記の①~③について若干補足説明と問題提起をさせてもらうと、そもそも事業場外のみなし労働時間制は、営業職等時間管理をする者がおらず正確な労働時間把握が困難な業務に限り認められている制度なので、制度の対象となる外勤労働者の実際の外勤時間とは関係なく、内勤時間も含め所定労働労働したものとみなすことができる制度ですが、外勤業務が通常の所定労働時間内では終了しないことが明らかな時には、その業務の遂行に通常必要とされる時間労働したとみなすことができ、その時間が法定労働時間を超えるときには労使協定に定めた時間労働したとみなすことができる制度です。もちろんその場合には、当該労使協定を所轄労働基準監督署へ届けなければなりませんが、同時に内勤業務も行うことが明らかなときには、その内勤業務に必要な時間も含め36協定の締結が必要となります。問題は、内勤も含め所定労働時間労働したものとみなす「みなし労働時間制」を採用している場合、所定労働時間の労働とみなしている以上、残業を何時間行わせても所定労働時間労働したとみなしてよいのか、それとも、所定労働時間とみなした以上は、終業時刻にすべての業務が終了するようにしなければならず、まったく残業が許されないのかという問題があります。

この法律上規定されている「みなす」という言葉の効果についてですが、「労働時間・休日・休暇の実務 Q&A120 弁護士 外井浩志(著)」(三協法規出版)の中で著者である外井弁護士は次のように述べています。

使用者が就業規則で事業場外労働についてはみなし労働時間制を採用すると定めれば、その業務が事業場外労働であって労働時間が算定できない業務の遂行に該当すれば、労働者の意思如何にかかわらず、労働時間の計算方法といして「みなし労働時間」制度が適用になると解されています。

法律上明白に「みなす」と規定されており、「みなす」とは「推定」とは違い反証を許さないということであり、反証をいかに挙げてもその法律効果は覆らないという定めです。実際に労働した時間が多くても証拠となるメモや申告書を持ち出しても、所定労働時間または通常業務に必要とされる時間(または労使協定時間)だけ労働したものと取り扱われることになります。

 所定労働時間ではない「みなし」の場合ですが、通常は、「その業務をおこなうのに通常必要とされる時間」は、その業務を行うのに必要な平均的な時間として定めていると思います。例えば、ある事業場外での業務について、8.5時間で終了することもあれば9.5時間かかる日もあるけれど、平均すれば9時間かかるような場合であれば、「その業務をおこなうのに通常必要とされる時間」は9時間となります【新訂3版 知らなきゃトラブル!労働基準関係法の要点 公益社団法人 全国労働基準関係団体連合会(編)

なお、当該業務の遂行に通常必要とされる時間とは、通常の状態でその業務を遂行するために客観的に必要とされる時間であることとされています(昭和63年1月1日 基発第1号、婦発第1号)

しかしながら、通常の状態でその業務を遂行するために客観的に必要な時間は、個人差があり一定ではないはずですが、ここでは、通常人という概念を設定し、「通常人が通常労働する場合」の平均的労働時間を想定しているそうです。従って「通常人」を想定しなければならないわけであり、そこが、使用者の裁量的判断に委ねるのと同視されることになってしまい、「みなし」という強い効果を与える基準として曖昧であり好ましくないという指摘もなされています。 「労働時間・休日・休暇の実務 Q&A120 弁護士 外井浩志(著)」(三協法規出版)

その、労働時間の設定に関して、上記裁判例では次のように述べています。

労働基準法は、事業場外労働の性質にかんがみて、本件みなし制度によって、使用者が労働時間を把握・算定する義務を一部免除したものにすぎないのであるから、本件みなし制度の適用結果(みなし労働時間)が、現実の労働時間と大きく乖離しないことを予定(想定)しているものと解される。したがって、例えば、ある業務の遂行に通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合であるにもかかわらず(本来、労働基準法38条の2第1項但書が適用されるべき場合であるにもかかわらず)、労働基準法38条の2第1項本文の「通常所定労働時間」働いたものとみなされるなどと主張して、時間外労働を問題としないなどということは、本末転倒であるというべきである。

 以上の事からすれば、御社では連日の報道に触発された社員から実働時間の差額分の未払い残業代を請求されていたとしても、「みなし」の効果がある以上、職場で定めた(協定された)「その業務を行うのに通常必要とされる時間」が労働時間であり、他に上記のような本末転倒となるような事情がなければ、その定めた時間に対応した時間分の賃金を支払っていれば問題ないということになります。

ところが、その「みなし」に関連して、使用者の具体的な指揮監督が及ばず、労働時間を算定することが困難な業務であるか否かの判断において、自己申告となる「添乗員が実際に行った旅程管理の状況について出発時刻、到着時刻等を詳細かつ正確に記載した添乗日報」を「補充的に用いる」ことによって「本件添乗業務についての添乗員の労働時間を把握するについて、その正確性と公正性を担保することが社会通念上困難であるとは認められない」とし、みなし労働時間制の適用はないと判示する高裁判決阪急トラベルサポート(派遣添乗員・第1事件)(東京高裁平成23年9月14日)】が現れるとともに、その後、実質同様の判断を示した最高裁判決阪急トラベルサポート(派遣添乗員・第2事件)(最高裁第二小法廷平成26年1月24日】が現れるという阪急トラベルサポートの一連の事件の判例がでてきました。 

 

今回はここまでとして、次回、最後にご紹介した判例につてい若干触れることとして今回のテーマである事業場外みなし労働時間制を終了したいと思います。

 

〈参考文献および資料〉 

(文献)

・「労働時間・休日・休暇の実務 Q&A120 弁護士 外井浩志(著)」(三協法規出版)

・【新訂3版 知らなきゃトラブル!労働基準関係法の要点 公益社団法人 全国労働基準関係団体連合会(編)】

労働判例インデックス 明治大学法科大学院教授 野川 忍(著)商事法務

・最新重要判例200労働法(増補版)神戸大学大学院法学研究科教授 大内伸哉(著)弘文堂

判例 

レイズ事件(東京地裁平成22年10月27日・労判1021号39頁)弁護士法人 栗田勇法律事務所HP

厚生労働省 HP版調整事件解説集⑬ 事業場外みなし労働時間制の適用

 


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コーヒーブレークQ&A 差額支給行進曲

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前回は、経営者からの相談を想定してのQ&Aでしたが、今回は労働者側からの相談を想定してのQ&Aです。

(Q)

現在の会社に就職し2年が経ち、先日、大学新卒の2等級から3等級に昇級しました。今回の昇級は、人事評価とは関係なく、2年が経過すると誰でも昇級できる制度になっていて、同期3人全員同時昇級ということになります。そこで毎回恒例の昇格祝いが開催されることになったのですが、当社では、昇格をお祝いする側ではなく、お祝いされる側が「皆さんのお陰です会費」を負担する習わしとなっていて、男は1人20,000円、女1人は10,000円と決まっているそうです。 そのため、先日25日の給料日に給与から20,000円天引きされました。当初は習わしだから仕方ないと思っていたのですが、よくよく考えてみるとみんな平等に飲み食いする飲み会で、会社で一番下の立場の人間が会費を負担するという制度に納得がいきません。 どうしたら良いでしょうか?

 

(A)

今回は、労基法の賃金支払いの5原則に関する基本的な問題ですので、簡単に頭を整理する形でまとめました。

【賃金支払いの5原則】とは労働基準法第24条に定められている諸原則のことを言います。

⑴通貨払いの原則

 賃金は通貨で支払わなければならないという原則です。               

(例外)

 ①法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合(現在法令の定めはない)

 ②一定の賃金について確実な支払方法で一定の者による場合

⑵直接払いの原則

 賃金は直接労働者に支払わなければならないという原則のことです。

 委任状を持った代理人であってもダメです。妻子等使者のみOKとされています。

⑶全額払いの原則

 賃金はその全額を支払わなければならないという原則のことです。

(例外)

 ①法令に別段の定めがある場合(給与等の源泉徴収社会保険料の控除など)

 ②労使協定がある場合(上記①以外)

⑷毎月1回以上払いの原則

 賃金は毎月1回以上支払わなければならないという原則のことです。

⑸一定期日払いの原則

 賃金は毎月一定の期日を定めて支払わなければならないという原則のことです。

 

以上が賃金支払い5原則ですが、今回のご相談については、その原則の中の⑶全額払いの原則が関係してきます。結論から述べると、賃金からの控除は上記の通り、法令に別段の定めがある場合か賃金の控除に関する労使協定がある場合に限られます。従って、御社の「皆さんのお陰様です会費」を給与から天引きすることは、例え労働者の同意があっても協定されていない限り原則許されません。そもそも飲み会の会費等は、一般的には、「社内親睦会費」等の名義で、協定により毎月給与天引きにより一定額を積み立てる方式で行われている企業が多いと思います。しかも、サラリーマンの1回の飲み会の費用としては20,000円は少額ではありませんが、昇級による差額給与が振り込まれることも考慮すると給与に占める割合的としてはそれほど大きな金額ともいえないでしょう。社内貸し付けの退職金からの返済等のように多額のお金を労働者本人の意思により相殺するほどの必要性もありません。ですから、本人が同意しているとしても、全額を一旦支払い、その中から本人が支払いをすることにしても企業の事務手続き上も何ら支障もないはずです。

では、どんな場合でも労働基準法の強行的直律的効力から賃金からの控除は、法が認める例外以外には認められないのでしょうか?

参考となる最高裁判決として、【シンガー・ソーイング・メシーン事件=最判昭和48.1.19】があります。

事件の概要は、在職中に競合他社に転職することが被上告会社に判明しており、填補旅費等経費の使用につき不明な点があったことからその損害の填補の趣旨も込めて、退職に当たって使用者に対し、「いかなる請求権も有しない」旨の書面を差し入れた労働者からの退職金請求が、自由な意思による退職金債権の放棄は労基法24条の全額払いの原則に反しないとして棄却された事例です。この裁判では、労働者が敗訴の結果となっているのですが、その中で最高裁は賃金の全額払いの原則の趣旨について次のように述べています。

 本件退職金は、就業規則においてその支給条件があらかじめ明確に規定され、Ý社が当然にその支払い義務を負うものというべきであるから、労働基準法11条の「労働の対償」といしての賃金に該当し、従って、その支払いについては、同法24条1項本文の定める全額払いの原則が適用されるものと解するのが相当である。しかし、右全額払いの原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるから、本件のように労働者たるⅩが退職に際しみずから賃金に該当する本件退職金債権を放棄する旨の意思表示をした場合に、右全額払いの原則が右意思表示の効力を否定する趣旨のものであるとまで解することはできない。もっとも、右全額払いの原則の趣旨とするところなどに鑑みれば、右意思表示の効力を肯定するには、それⅩの自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないものと解すべきであるが、・・・・・

 この、最高裁の判断によれば、労働者の債権である賃金に関しても、労基法24条の全額払いの趣旨に反しない労働者の明確な自由意思に基づく債権放棄であれば認められるということになります。しかし、上述した通り、その自由意思もあくまで労働者本人のためという事情の基になされたものでなければ認められないと考えれば、本当に例外の例外的な取扱いと考えておくべきです。労働者の意思形成過程に何らかの使用者の働きかけが許されるべきではないと思います。

今回の判例を引用した、【商事法務出版 労働判例インデックス】でもその著者である明治大学法科大学院野川 忍教授が、判例解説のなかで次のように述べています。

モデル裁判例である日新製鋼事件(最二小判平2.11.26 労判584-6)の様な

相殺と異なり、労働者には消滅させるべき自己の債務はなく、純粋に債権の消滅だけがじるのであるから、自由意思の認定は、合意相殺の場合に比べても一層厳格になされるべきであろう

話を、相談内容に戻すと、御社の「皆さんのお陰です会費」は、強い立場にある使用者からの働きかけによるものといってよいと思います。制度の詳細は解りかねますが、一般的にうと、更に、昇格祝いともなれば、その会社行事はなかば半強制的で昇格した労働者側に断る自由裁量性はほとんどないと言っても過言ではないかもしれません。もし行事への参加の自由があったとしても、昇格祝いという性質上会費だけは支払いをさせらる可能性が高いのではないでしょうか?

従って、上記判例の様な労働者の自由意思による債権の放棄を例として、労基法24条の全額払いの原則に反することはできません。

支払い済みの会費に関しては、まずは使用者と温和な話合いで解決を図るしかないと思います。

それでも解決しない場合には、行政官庁に相談し、それでも解決しない場合は弁護士等に相談するしかないでしょう。各都道府県の社会保険労務士会の方では、裁判外紛争解決手続制度(ADR)という裁判外で時間と費用をかけずに簡単な和解による解決を図る制度も用意されています。まずはお気軽にご相談ください。

 

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コーヒーブレークQ&A 出向って不利益?

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今回は、前回の継続雇用制度の続きの予定でしたが、Q&A方式で、「出向・転籍」に関するテーマでコーヒーブレークという感じで、記述してみました。

 

Q.

以前から当社では、当社の転籍・出向規定に基づき、当社従業員に当然の業務命令として、関連会社への転籍出向を行ってきました。当然当社の転籍・出向規定には在籍出向のみならず、関連会社への転籍についての定めはあるのですが、過半数労働組合との労働協約はありません。先日、ある経営者懇談会で労働法の実務家から、転籍出向に関しては、民法625条の定めにより、従業員の個別同意が必要で会社の勝手な業務命令としては発令できないと聞き不安になりました。しかし一方で日本社会の会社では、転籍も在籍出向と区別せずにその多くが使用者側の一方的な業務命令として行われているとも聞きますし、応じない従業員については解雇等労働契約解消の手続きなども行われているようです。
当社の今までの転籍命令はやはり問題なのでしょうか?

 

A.

御社の今までの配転に関する業務命令に関しては、労使慣行についての関係でも考察する必要があると思います。そこでまず、労働契約関係において、労使慣行の成立するための要件について、おさらいしておきたいと思います。

日本大学(定年)事件【2001年7月25日東京地裁決定 平成13年(ヨ)21038 労判818号46頁】で裁判所は、「労使間で慣例として行われている労働条件等に関する取扱いである労使慣行は、それが事実たる慣習として、労働契約の内容となっている場合に限り、就業規則に反するかに問わず、法的拘束力を有する。」としています。その裁判所の考えを前提に労使関係において法的効力を有する労使慣行の成立要件をまとめると次の3つの要件が必要とされています。

①同種の事実あるいは同種の行為が労使間において長期間反復継続している。

②労使双方が、この事実行為(慣行)を明示的に排除・排斥していない。

③当該慣行につき、労働条件について法的権限を有する者又はその取扱いについて一定の裁量権を有する者の規範意識に支えられている。
以上3要件を具備する場合には、就業規則の定めいかんにかかわらず、その慣行が優先されて法的効力を有するということになります。

 (実務家のための 労働判例用語解説 弁護士 八代徹也〈著〉 経営書院出版)

 

使用者は、労働契約に基づき、労働者の採用、配置、異動(配転)、人事考課、昇進・昇格・降格、求職、解雇などを行う権利を有すると解されており、企業における使用者のこうした権利を一般的に人事権と呼んでいますが、人事権とは、法律で直接定義されている権利ではなく、あくまで労働契約に基づく労働者の地位の変動や処遇に関する使用者の決定権限の実務上の呼び方であり、その権限の行使は、労働契約の内容、具体的には就業規則労働協約、個別の合意で決めた労働契約の内容に従って行われることになります。このように人事権とは、企業組織において労働者の配置、移動などその地位の変動や処遇を決定する使用者の裁量的判断に属する権限を指し、労働契約上も、通常は黙示の合意によって認められるものとされています。
出向も転籍も労働者の移動に関する事柄ですので、企業における人事権の行使の範囲に含まれることになります。そうであるならば、出向も転籍も労働契約上、通常は黙示の合意によって認められるのでしょうか?もし、認められるとするならば、設問の転籍に関して、先述した労使慣行が法的拘束力を有するための3要件を具備しているならば、その労使慣行は労働契約の内容を構成しているということになり、労働契約上の黙示の合意により、使用者の人事権の行使として何ら問題がないということにもなりそうにも思えます。

バンク・オブ・アメリカイリノイ事件(労判685号17頁)において東京地裁は、人事権の行使について、次のように判事しています。

「使用者が有する採用、配置、人事考課、異動、昇格、降格、解雇等の人事権の行使は、雇用契約にその根拠を有し、労働者を企業組織の中でどのように活用・統制していくかという使用者に委ねられた経営上の裁量判断に属する事柄であり、人事権の行使は、これが社会通念上著しく妥当を欠き、権利の濫用と認められる場合でない限り、違法とはならないものと解すべきである。

但し、配置転換とは違い、労務の提供先が変更となる出向も転籍もそれが人事権の行使として有効とされるためには、労働契約上の明確な根拠が必要となります。
冒頭のご質問にもあるように、民法625条1項は「使用者は労働者の承諾を得なければその権利(労務給付請求権)を第三者に譲り渡ることができない」と規定しているためです。

労働契約法では、「使用者が労働者に出向を命ずることができる場合において、当該出向の命令が、その必要性、対象労働者の選定に係る事情その他の事情に照らして、その権利を濫用したものと認められる場合には、 当該命令は、無効とする。(労働契約法第14条)」と規定しています。 出向は大企業を中心に広く行われていますが、出向の権利濫用が争われた裁判例もみられ、また、出向は労務の提供先が変わることから労働者への影響も大きいと考えられることから、権利濫用に該当する出向命令による紛争を防止する必要があります。このため、労働契約法において、権利濫用に該当する出向命令の効力について規定したものです。 権利濫用であるか否かを判断するに当たっては、出向を命ずる必要性、対象労働者の選定に係る事情その他の事情が考慮される必要があります。 なお、労働契約法におけるこの条文の「出向」とは、いわゆる「在籍型出向」をいうものであり、使用者 (出向元)と出向を命じられた労働者との間の労働契約関係が終了することなく、出向を命じられた労働者が出向先に使用されて労働に従事することをいうものです。 「使用者が労働者に出向を命ずることができる場合において」とは、労働契約を締結することにより直ちに使用者が出向を命ずることができるものではなく、どのような場合に使用者が出向を命ずることができるのか については、個別具体的な事案に応じて判断されるものの意です。

厚生労働省委託 中小企業労働契約改善事業 「中小企業のための就業規則講座 就業規則作成・ 見直しのポイント~不況に負けない『いきいき職場』をつくるために~ 」全国社会保険労務士会 都道府県社会保険労務士会〈編〉より】

http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoukeiyaku01/dl/15.pdf


よく、出向(転籍を含む)に対する、上記民法規定の労働者の承諾は、労働者の個別具体的な合意に限定される必要はなく、事前の包括的合意であっても許されるとの部分的説明から、就業規則に定める「会社は、業務の必要により従業員に社外勤務を命じることができる。従業員は、正当な理由なく命令を拒むことができない。」という一般的出向規定があれば当然に従業員に出向を命じることができると誤解されていることもあるようです。
しかしながら、上記「中小企業のための就業規則講座 就業規則作成・ 見直しのポイント~不況に負けない『いきいき職場』をつくるために~ 」が引用する(平成20年1月23日付基発第123004号)の労働契約法第14条の説明にあるとおり、在籍出向は、出向元会社の従業員である身分を保有しながら、出向先会社で勤務する雇用状態であって、指揮命令権の帰属者を変更することであり、そのことは、本来重要な、しかも多くの場合不利益な労働条件の変更であり(日東タイヤ事件・東京高判昭和47.4.26,最判昭48.10.19労判189号53頁 最高裁は、就業規則中に会社外の業務に従事する時は休職にする旨の休職条項がある事案でも、同条項は出向命令権の根拠にならないと判示 労働者の承諾その他これを法律上正当付ける特段の根拠無くして労働者を第三者のために当該第三者の指揮下において労務に服させることは許されない(日立電子事件・東京地判昭和41.3.31労民集17.2.368)と説明されています。

そして、この法律上正当付ける特段の根拠については、契約法第14条の命令の必要性、対象労働者の選定に係る事情その他の事情を考慮して、その権利濫用性が判断されるということになります。その他の事情に関しては、出向対象労働者の出向後の労働条件や生活環境で被ることになる不利益への配慮と考えられますが、具体的事例毎にケースバイケースで個別に判断されるということになると考えておいた方がよいでしょう。繰返しになりますが、「出向命令は、出向命令の法的根拠である出向者の包括的同意の他に、①出向の業務上の必要性 ②出向者の人選の妥当性 ③出向手続きの妥当性3要件が満たされ、出向者に対する権利濫用となるような事情がなければ正当と評価されると解されています。
従って、実務においては、就業規則の出向義務規定に加えて、労働者の不利益を是正するような細則等の存在や就業規則を遵守する旨の誓約書の提出がなされていること等の事情が必要になるとされています。

以上のようなことから、やはり出向については原則個別同意が必要であり、事前の包括的合意においても、将来出向がありえるという曖昧な表現に対する合意ではなく、労働者が十分理解したうえで真意でなしたものである必要があると理解しておいた方が、問題になることは少ないのではないかと思います。

興和事件・名古屋地裁判決昭和55年3月26日労判342号61頁】

*1

従って、出向先や出向期間だけでなく、出向後の労働条件、特に重要な要素である賃金等の労働条件についての配慮等の十分な理解を前提とすべきであり、そのように考えるとやはり紛争防止のためにも誓約書の徴収は必須と考えておいた方が無難でしょう。以上のように、出向に関しては、出向義務の根拠が厳格に解釈されている以上、出向についての労使慣行については、例え上記3つの要件、【①同種の事実あるいは同種の行為が労使間において長期間反復継続している。②労使双方が、この事実行為(慣行)を明示的に排除・排斥していない。③当該慣行につき、労働条件について法的権限を有する者又はその取扱いについて一定の裁量権を有する者の規範意識に支えられている。】を満たしたとしても、そのような労働慣行だけで出向義務は認めることはできないということは理解しやすいように思います。

それに対して、出向ほど労働者に不利益性が少ない配置転換に関しては、多くの裁判例が、慣行による配転義務を認めているとされています。

【Q&A 労働法実務シリーズ4 中町誠・中山慈夫〈編〉 配転・出向・転籍第2版(7頁、86頁~87頁、91頁、97頁、103頁) 弁護士 竹之下義弘〈著〉 中央経済社

 

最後となりましたが、参考までに労使慣行の4つの効力について抜粋します。

⑴ 労働契約を補充する効力
労働契約に定めがない場合にその空白部分を補充します

⑵ 労使慣行に反する使用者の権利行使を「権利の乱用」として無効にする効力
従来不問としてきたような軽微の企業秩序違反に対して、突如として懲戒処分を科することが権利の乱用とされる可能性のこと。そのような慣行に気づいた時は早めに、服務規律通りの処遇扱いとすることを周知した後でなければ権利濫用とされる可能性がある。

⑶ 労使慣行が「集団的労使関係における慣行」である場合には、組合活動上の有利な取扱いや施設使用上の便宜等に関して、それに反する使用者の行為を「不当労働行為」とする可能性を与える効力

労働協約就業規則の不明確・抽象的な規定に明確・具体的な意味を与える効力

 

(LEC東京リーガルマインド 「労働法」第4版)より ※一部参考例を変更してます

 

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*1:実質上同一企業の一事業部門として機能している三社のうちの一社に採用される際、労働者が将来三社間を社内転勤と同じ手続で異動を命ぜられることがあり、その異動は頻繁に行われている旨の説明を受けてそのことを理解していたことから、出向について包括的同意を与えていたと認められた事例。

定年後再雇用「労働条件引き下げに限界」! 労使に新たなお付合い?

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(目次)

 1.2018年3月31日朝日新聞朝刊記事の内容

  2. 高年齢者雇用安定法の概要説明

 3.モデル裁判例 津田電気計器事件の内容

 

1.2018年3月31日朝日新聞朝刊記事の内容

3月31日の朝日新聞朝刊の報道内容です。

北九州市にある食品の加工販売を手掛ける会社に約40年勤務していた女性が、定年後再雇用の条件として、従前からの賃金の75%削減条件の会社側の提案が不法行為に当たるとして慰謝料100万円の支払いを会社側に命じた高裁判決が確定したというものです。

 判決は昨年9月7日付。原告、会社双方が上告したが、最高裁が3月1日にいずれも不受理の決定をして確定した。(中略)原告は60歳の定年時は経理を担当し、月給は約33万円だった。同社は、再給与雇用後は時給制のパート勤務とし、月給換算で定年前の25%相当まで給与を減額する条件を示したが原告は拒んだ。高裁判決は、65歳までの雇用の確保を企業に義務付けた高年齢者雇用安定法の趣旨に沿えば定年前と再雇用後の労働条件に「不合理な相違が生じることは許されない。」と指摘。同社が示した再雇用の労働条件は「生活への影響が軽視できないほどで厚年法の趣旨に反し、違法」と認めた。

という内容の記事です。

 新聞記事が出たのが3月31日で、4月になると各社で定年を迎える労働者が出てきますので、もの凄く企業実務にインパクトを与えるタイミング出てきた記事だなぁと思いました。

高年齢者雇用安定法により、平成10年4月から定年を60歳を下回ることができないとされたこともあり、現在ほとんどの企業が60歳定年制を下回る制度で運用しているところはないと思います。

この高年齢者雇用安定法について、少しおさらいをさせていただくと、我国の少子高齢化による労働力人口の減少と特別支給の老齢厚生年金の報酬比例部分の段階的支給開始年齢の引き上げを契機に、高年齢者が老後においてもその年齢にかかわりなく意欲と能力に応じて安定して働き続けることができる環境の整備が重要となり、平成16年改正および平成24年改正において、企業に対する65歳までの雇用確保措置の制度が導入されました。

 

 2. 高年齢者雇用安定法の概要説明

 (1)(平成16年改正の雇用確保措置)

65歳を下回る定年制の定めのある企業では、定年退職を迎えた労働者が、希望した場合は、65歳までの安定した雇用確保措置が義務化されました。雇用確保措置の内容としては、① 65歳以上への定年制度年齢の引き上げ  継続雇用制度の導入  定年制度の廃止 のいずれかの制度を導入することが義務とされました。

②の継続雇用制度の導入を選択する企業が大多数であると言われていて、その継続雇用制度には、定年退職後も引き続き同じ労働条件で働き続ける勤務延長制度と、定年後いったん退職し、新たな労働条件で再雇用される再雇用制度2種類があります。

継続雇用制度の定義は、現に雇用する労働者が希望する場合には、当該高年齢者をその定年後も引き続き雇用する制度ということですから、本人が希望をすれば定年後も引き続き雇用を継続する制度であるのが原則であるとされています。

但し、②の継続雇用制度を導入する場合、この平成16年改正では、原則通りに、必ず希望者全員を継続雇用することまでを求めるものではなく、継続雇用制度の対象者に係る基準を企業側は労使協定(労使の協議が整わない場合における就業規則への基準の策定導入の経過措置あり)に定めることができることとされていました。継続雇用に係る年齢についても、一気に65歳までの継続雇用措置にする必要はなく、特別支給の老齢厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢段階的引き上げに呼応する形で、継続雇用制度導入に係る年齢を段階的に引き上げていく制度となっていました。*1

 

 (2)(平成24年改正の雇用確保措置)

職発1109第2号 平成 24 年 11 月9日 (抜粋)

 1.継続雇用制度の対象者を限定できる仕組みの廃止 

 少子高齢化が急速に進展する中、労働力人口の減少に対応し、経済と社会を発展させるため、高年齢者をはじめ働くことができる全ての人が社会を支える全員参加型社会の実現が求められており、また、現在の年金制度に基づき平成25年度から特別支給の老齢厚生年金の報酬比例部分(以下「厚生年金報酬比例 部分」という。)の支給開始年齢が段階的に引き上げられることから、現状のままでは、無年金・無収入となる者が生じる可能性がある状況であります。 このような状況を踏まえ、継続雇用制度の対象となる高年齢者につき事業主が 労使協定により定める基準により限定できる仕組みを廃止するなどの改正を行っ たものであるとされています。
 

 2.継続雇用制度の対象者を雇用する企業の範囲の拡大 

 継続雇用制度には、事業主が、特殊関係事業主(当該事業主の経営を実質的に支配することが可能となる関係にある事業主その他の当該事業主と特殊の関係のある事業主として厚生労働省令で定める事業主)との間で、当該事業主の雇用する高年齢者であってその定年後に雇用されることを希望するものをその定年後に当該特殊関係事業主が引き続いて雇用することを約する契約を締結し、当該契約に基づき当該高年齢者の雇用を確保する制度が含まれることとされました。

 継続雇用先の範囲を拡大する特例において、特殊関係事業主とされるのは、
[1]元の事業主の子法人等
[2]元の事業主の親法人等
[3]元の事業主の親法人等の子法人等
[4]元の事業主の関連法人等
[5]元の事業主の親法人等の関連法人等
 のグループ会社です。

<他社を自己の子法人等とする要件>

当該他社の意思決定機関を支配しているといえることです。具体的には、図1に示す親子法人等関係の支配力基準を満たすことです。

(図1)

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<他社を自己の関連法人等とする要件>

当該他社の財務及び営業又は事業の方針の決定に対して重要な影響を与えることができることです。具体的には、図2に示す関連法人等関係の影響力基準を満たすことです。

(図2)

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3.義務違反の企業に対する公表規定の導入

 厚生労働大臣は、事業主に対し高年齢者雇用確保措置に関する勧告をした場 合において、その勧告を受けた者がこれに従わなかったときは、その旨を公表することができることとされました。

4.高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針の策定

事業主が講ずべき高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針の根拠を設けられました。

5.その他

 経過措置により、平成 37 年3月 31 日までの間、継続雇用制度の対象となる高年齢者に係る基準を厚生年金報酬比例部分の支給開始年齢以上の者を対象に、利用することができることとされました。*2

以上、説明してきたように、企業は高年齢者雇用安定法により、定年を迎えた高年齢者が希望する場合には、65歳までの安定した雇用の継続を確保するための措置を講じなければならなくなりました。平成16年改正の継続雇用に係る基準については、特別支給の老齢厚生年金の報酬比例部分支給開始年齢以上を対象に、平成37年3月までの経過措置が設けられましたが、その経過措置を除けば、当該企業の解雇事由や退職事由に該当する場合以外は、原則希望者全員を継続雇用の対象にしなければなりません。

ここで問題となるのが、法第9条第1項の「高年齢者雇用確保措置」の内、継続雇用制度の再雇用制度を選択している場合で、継続雇用に係る基準を満たすにもかかわらず企業側が継続雇用を拒む場合や企業側が新たに提示した雇用条件に、再雇用希望者が同意を拒み、結果として再雇用を拒否する結果となった場合、企業側は法違反に問われるのかという問題があります。

まずは、高年齢者雇用安定法の趣旨にかんがみ、継続雇用しないことについては、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であることが求められると考えられることに留意が必要とされています。

ここで参考とされている裁判例として、津田電気計器事件(平成24年11月29日 第一小法廷判決) というモデル裁判例があります。

事件自体は、平成24年改正前の高年法の9条1項、2項に基づき判断されたものです。

 

3.モデル裁判例 津田電気計器事件の内容

事件の概要としては、電気計測器の会社に雇用され定年を迎えた労働者が、継続雇用制度によって継続雇用されたと主張して、労働契約上の地位の確認を求めるとともに未払賃金等の支払を請求し、これに対し会社は、改正後(平成16年改正)の高年齢者等の雇用の安定等に関する法律に基づき制定した「高年齢者継続雇用規程」(継続雇用規程)の定める継続雇用の基準を労働者が満たしていなかったとして争った事案の上告審です。

第一審大阪地裁は、労働者は継続雇用規程に定める再雇用の基準(保有資格、業務習熟度、社員実態調査結果、賞罰実績)を満たしているとして地位確認を認め、賃金請求については、確定判決までの主位的請求を棄却し、予備的請求を認め賃金支払を命じた(将来請求は却下)。会社が控訴。労働者も敗訴部分の取消しを求め附帯控訴し、賃金請求に係る遅延損害金の支払を追加して請求。 第二審大阪高は、継続雇用規程及び雇用継続基準は適法とした上で、継続雇用規程における業務習熟度表、社員実態調査票等から総合点数を求めても労働者は基準を満たすのにもかかわらず会社が承諾しなかったものであり、不承諾は権利濫用であるから継続雇用契約が成立したものというべきであるとして、原審を支持しました。

控訴審では、

(1)(控訴人の継続雇用規程に定められた本件選定基準は適法なものといえるか。)

(2)(控訴人と被控訴人との間で継続雇用契約が成立したか。)       (3)(継続雇用契約が成立した場合の賃金額)

 以上の3つが争点とされていますが、ここでは、参考に(2)(控訴人と被控訴人との間で継続雇用契約が成立したか。)についての内容について簡単に紹介しておきたいと思います。

 大阪高裁は、「契約成立の判断について」の中で、(平成24年改正前)高年法9条2項は、事業主と労働者の過半数代表との書面協定によって「継続雇用制度の対象となる高年齢者に係る基準を定め、当該基準に基づく制度を導入したときは、前項第二号に掲げる措置を講じたものとみなす」と定めているので、高年法は、労働者の過半数の代表者との書面協定によって継続雇用の対象とする労働者を事業主が選別することを許容したものと解されるとした上で、控訴人の「会社は、継続雇用を希望する高年齢者のうちから選考して高年齢者を採用する。」と定められている継続雇用規程の定めと実際の運用に照らし、継続雇用対象者の希望が継続雇用契約の申込みであり、査定の結果通知が承諾、不承諾に当たると解するのが相当であるとしています。

そして、核心の契約成立の判断について、

もっとも、このように解したからといって、労働者から継続雇用の申込みがあった場合に事業主である控訴人において自由に採否を決められるものではなく、当該労働者が選定基準を満たす場合は、控訴人には継続雇用を承諾する義務が課せられていると解すべきである。そこで、これに反して被控訴人が不承諾とした場合には、解雇法理(解雇権濫用法理)を類推適用して、不承諾は使用者の権利濫用に当たり、不承諾を当該労働者に主張することができない結果継続雇用契約が成立したと扱われるべきものと解するのが相当である。
 〔中略〕
以上の査定帳票の点数を継続雇用対象者の査定表に当てはめると、保有資格0点、業務習熟度表0点、社員実態調査票マイナス4点、賞罰実績5点であり、総合点数は1点になる。
 そうすると、控訴人は、被控訴人の継続雇用の申込みに対し、被控訴人が基準を満たすのにもかかわらず承諾しなかったことになる控訴人が被控訴人の継続雇用を不承諾とするのは権利濫用であり、被控訴人との間で継続雇用契約が成立したものというべきである。

 以上の様に述べ、被控訴人の請求のうち地位確認請求は理由があるとされました。  

控訴審では、控訴人は、被控訴人が基準を満たしているにも関わらず継続雇用を不承諾としたことが権利濫用であるとしました。控訴人と被控訴人(第1審原告)とで基準の適・不適についての判断にくい違いがあったため争いとなったわけですが、基準に適合するか否かの主張・立証については、選定基準を定めたのは控訴人であること、選定基準に係る査定帳票がいずれも控訴人の作成保管するものであること、選定基準の内容は人事評価に係ることであり、もっぱら控訴人側が把握している事実であることにかんがみ、控訴人側においてなされる必要であるとしています。平成16年改正法は、継続雇用制度の対象者に係る基準については、労働者の過半数の団体意思を反映させるとともに、使用者による恣意的な対象者の限定を防ぐため過半数を代表する労働組合と労使協定を結ぶことを原則として求めていますが、協議をするために努力したにもかかわらず協議が整わないときには、就業規則などに基準を定めることにより制度を導入できるという経過措置が設けられていたことは前述のとおりです。

継続雇用制度の対象者に係る基準の策定に当たっては、労使間で十分協議の上、各企業の実情に応じて定められることを想定しており、その内容については、原則として労使に委ねられるものであり、労使間で十分協議の上定められたものであれば、高年齢者雇用安定法違反とまではいえないとされています。しかしながら労使で十分に協議の上、定められたものであっても、事業主が恣意的に継続雇用を排除しようとするなど、高年齢者雇用安定法の趣旨に反するものや、他の労働関連法規に反する又は公序良俗に反するものは当然認められません。高年齢者が年齢にかかわりなく働き続けることのできる環境を整備するという高年齢者雇用安定法の趣旨にかんがみれば、職種や管理職か否かによって選別するのではなく、意欲と能力のある限り継続雇用されることが可能であるようなより具体的かつ客観的な基準が定められることが望ましいとされています。

その具体性客観性について通達(平 成 16 年 11 月 4 日 職 高 発 第 1104001 号)

http://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/kourei2/dl/tuu1a.pdf

では次のように説明されています。

 ① (具体性)意欲、能力等をできる限り具体的に測るものであること

労働者自ら基準に適合するか否かを一定程度予見することができ、到達していない労働者に対して能力開発等を促すことができるような具体性を有するものであること。

(客観性)必要とされる能力等が客観的に示されており、該当可能性を予見することができるものであること

企業や上司等の主観的な選択ではなく、基準に該当するか否かを労働者が客観的に予見可能で、該当の有無について紛争を招くことのないよう配慮されたものであること。

(望ましい基準例)

『社内技能検定レベルAレベル』

『営業経験が豊富な者(全国の営業所を3か所以上経験)』

『過去3年間の勤務評定がC以上(平均以上)の者』(勤務評定が開示さ れている企業の場合)

あくまでも、法の趣旨に沿うようにとの基準策定上の留意事項とされていますが、「会社が必要と認める者」や「上司の推薦がある者」というだけでは基準を定めていないことに等しく、したがって、このような不適切な事例については、公共職業安定所において、必要な報告徴収が行われるとともに、個々の事例の実態に応じて、助言・指導、勧告、企業名の公表の対象となるとされています。*3下線部にあるように紛争防止のため、具体性、客観性ともに労働者からのある程度の予見可能性を備えることを求めていますし、具体性については、到達していない労働者に対して能力開発等を促すことができるような具体性を望ましい基準として求めています。

話を事件に戻すと、争点(1)(控訴人の継続雇用規程に定められた本件選定基準は適法なものといえるか。)について、継続雇用規程及び選定基準は違法無効とはいえず適法なものと判断されています。ただ、適法とされているということは、法の趣旨に反しておらず、他の労働関係法令や公序良俗にも反しないということであるのでしょうから、そのことだけで控訴会社の選定基準が上記望ましい基準であったかどうかまでは断言できませんが、選定基準が控訴会社査定帳票の具体的客観的基準項目点数の総合点数によって継続雇用の適否が判断されるものとなっていることから望ましい基準を満たしているといってよい と思います。

多くの労使協定がそうであるように、高年齢者雇用安定法の労使協定については私法的効力が認められていないとされていて、ただ、法が想定する各企業の実情に応じた内容とするため、原則(65歳までの雇用確保)以外の方法を採用する場合、法の継続雇用制度の対象者に係る基準を労使協定で定めることが許容されており、協定に定めた場合には、法の9条1項の②の継続雇用制度を導入したことになると原審でも述べられています。従って、基準以外の継続雇用後のその他の労働条件も含め、私法的効力を持たせるためには、制度の詳細内容を協定と別に就業規則に定めなければなりません。但し、協定が過半数労働組合と締結される場合は、基準以外の労働条件についても定めることができ、その場合は、協約の一般的拘束力により組合員を拘束することになります。

ただ、現在は経過措置はなくなりましたが、原審は、基準について就業規則に定めた場合の取り扱いについては、そのことで直ちに雇用契約が成立することはなくとも、その定めた規定を周知する行為は申込みの誘因であり、継続雇用希望者の希望申し出が申込みであり、企業側の返答が承諾・不承諾となるとしながらも、高年法の趣旨にかんがみ、基準を満たしていながら承諾しないことは、解雇権の濫用法理の類推適用により権利濫用であり、結果雇用契約が成立するとしています。

この原審の判断は、改正法9条自体の私法的効力を否定していることになるのでしょうけれど、高齢法の趣旨に鑑み、完全なる労使の私的自治に委ねるのではなく、基準が就業規則に定められ、その基準を満たしている以上は、期待権の保護に値するに等しい効果を認めていることになると思います。一旦有効に成立した雇用契約の解除は解雇であり、客観的合理的理由を欠き、社会通念上相当と認められない場合は、解雇権の乱用に該当するということなのでしょう。

この改正法9条自体の雇用契約に対する直接的な私法的効力についての裁判所の立場は、実質的に肯定説の立場をとる裁判例京濱交通事件(横浜地川崎支判平22.2.25労判1002号5頁)*4もありますが、大半の判例は、「同条は、私人たる労働者に、事業主に対して、公法上の措置義務や行政機関に対する関与を要求する以上に、事業主に対する継続雇用制度の導入請求権ないし継続雇用請求権を付与した規定(直截的に私法的効力を認めた規定)とまで解することはできない」という否定的立場であるとされています。「NTT東日本事件(東京高判平22.12.22判 時2126号133頁)等」。

今回記事は、モデル裁判例控訴審の内容の説明が大半になってしまいましたが、事件の上告審自体が控訴審判決の内容の趣旨と同旨であるとしていることを理由としています。

その上告審では、上述のように原審の内容と同旨としながら、原審の解雇権乱用の類推適用の判断枠組みについては、有期労働契約における雇止めに関する判例法理を確立した東芝柳町工場事件(最一小判昭49.7.22 民集28-5-927)および日立メディコ事件(最一小判昭61.12.4 労判486-6)を引用・参照し、継続雇用への合理的期待に言及して、次のように述べています。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/762/082762_hanrei.pdf

上告人は,法9条2項に基づき,本社工場の従業員の過半数を代表する者との書面による協定により,継続雇用基準を含むものとして本件規程を定めて従業員に周知したことによって,同条1項2号所定の継続雇用制度を導入したものとみなされるところ,期限の定めのない雇用契約及び定年後の嘱託雇用契約により上告人に雇用されていた被上告人は,在職中の業務実態及び業務能力に係る査定等の内容を本件規程所定の方法で点数化すると総点数が1点となり,本件規程所定の継続雇用基準を満たすものであったから,被上告人において嘱託雇用契約の終了後も雇用が継続されるものと期待することには合理的な理由があると認められる*5一方,上告人において被上告人につき上記の継続雇用基準を満たしていないものとして本件規程に基づく再雇用をすることなく嘱託雇用契約の終期の到来により被上告人の雇用が終了したものとすることは,他にこれをやむを得ないものとみるべき特段の事情もうかがわれない以上,客観的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であると認められないものといわざるを得ない。したがって,本件の前記事実関係等の下においては,前記の法の趣旨等に鑑み,上告人と被上告人との間に,嘱託雇用契約の終了後も本件規程に基づき再雇用されたのと同様の雇用関係が存続しているものとみるのが相当であり,その期限や賃金,労働時間等の労働条件については本件規程の定めに従うことになるものと解される最高裁昭和45年(オ)第1175号同49年7月22日第一小法廷判決・民集28巻5号927頁,最高裁昭和56年(オ)第225号同61年12月4日第一小法廷判決・裁判集民事149号209頁参照)。そして,本件規程によれば,被上告人の再雇用後の労働時間は週30時間以内とされることになるところ,被上告人について再雇用後の労働時間が週30時間未満となるとみるべき事情はうかがわれないから,上告人と被上告人との間の上記雇用関係における労働時間は週30時間となるものと解するのが相当である。
原審の前記判断は,以上と同旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。

 以上のように、モデル裁判例である津田電気計器事件控訴審及び上告審を参考に、継続雇用に係る基準を満たすにもかかわらず企業側が継続雇用を拒む場合の違法性の問題について、考察してきましたが、改正法自体に私法的効力がなくとも、基準を満たしている継続雇用希望者に企業側が特段の理由もなく拒絶することは、違法と判断される可能性が高いということになります。最新の改正により継続雇用に係る基準が廃止され原則希望者全員に対して65歳までの雇用確保措置が義務化されましたが、同時に特別支給の老齢厚生年金の支給開始年齢の段階的引き上げの時間的猶予の関係から、経過措置が認められており、引き続き企業側には、基準の見直し等注意が必要です。

さて、モデル裁判例では、継続雇用基準を満たすものに対する特段の事情のない再雇用拒否が、客観的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であると認められないとされ、会社の継続雇用規定に従った労働条件での雇用契約の成立を認めていますが、そもそも基準以外に詳細な再雇用後の労働条件が定められていない場合は、どうなるのかという問題があります。裁判所が勝手に再雇用後の労働条件を決定することができない以上、65歳までの再雇用が従前と同様の労働条件で認められたことになってしますのでしょうか?それとも改正法9条自体に私法的効力がないというのが大半の裁判所の立場ですので、労働条件が確定できない以上、再雇用の成立自体あり得ないと判断されてしまうのでしょうか?参考となる裁判例として、

(日本ニューホランド〔再雇用拒否〕事件・札幌地裁平22.3.30判決)があります。

以降は、2011年(平成23年)労働判例・命令総索引からの抜粋です。 

被告Y社が,少数組合である訴外B組合の中央執行委員長であった原告Xの定年(満60歳)後の再雇用を拒否した件につき,本件再雇用制度における再雇用契約とは,Y社を定年退職した従業員がY社と新たに締結する雇用契約であり,雇用契約において賃金の額は契約の本質的要素であるから,再雇用契約においても当然に賃金の額が定まっていなければならず,賃金の額が定まっていない再雇用契約の成立は法律上考えられないとされ,本件再雇用規程8条によれば,再雇用契約における賃金の額は,再雇用を希望する従業員とY社の合意により定まるものであること,Y社はXとの再雇用契約締結を拒否しており,再雇用契約における賃金額について何らの意思表示もしていないことからすると,仮に本件再雇用拒否が無効であるとしても,Xの賃金額が不明である以上,XとY社との間に再雇用契約が成立したと認めることはできないとして,Xの地位確認および未払賃金の請求が棄却された。

 Xには,本件再雇用拒否によって再雇用契約締結の機会が奪われたことによる財産的および精神的損害が発生したといえるとして,Xの損害額につき500万円,弁護士費用につき50万円を認めた一審判決は相当であるとして,Y社による事実認定,法的評価等が不当であるとする主張が棄却された。

 結局は、重要な雇用契約の要素が決まっていない以上労働契約の成立は法律上考えられないと判断されていますが、会社の再雇用拒絶は不法行為に該当するとして違法と判断され損害賠償が認められています。

 企業の皆様には、定年退職者が多く出るであろう4月中に、継続雇用規定の見直しを強くお勧めします。

次回の予定は、同じテーマで、本件記事の中で取り上げたもう一つの継続雇用に対する問題、企業側が新たに提示した雇用条件に、再雇用希望者が同意を拒み、結果として再雇用を拒否する結果となった場合の違法性の問題について考察を予定しています。

(参考) 高年齢者等の雇用の安定等に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、定年の引上げ、継続雇用制度の導入等による高年齢者の安定した雇用の確保の促進、高年齢者等の再就職の促進、定年退職者その他の高年齢退職者に対する就業の機会の確保等の措置を総合的に講じ、もつて高年齢者等の職業の安定その他福祉の増進を図るとともに、経済及び社会の発展に寄与することを目的とする。


(高年齢者雇用確保措置)
第九条 定年(六十五歳未満のものに限る。以下この条において同じ。)の定めをしている事業主は、その雇用する高年齢者の六十五歳までの安定した雇用を確保するため、次の各号に掲げる措置(以下「高年齢者雇用確保措置」という。)のいずれかを講じなければならない。
一 当該定年の引上げ
二 継続雇用制度(現に雇用している高年齢者が希望するときは、当該高年齢者をその定年後も引き続いて雇用する制度をいう。以下同じ。)の導入
三 当該定年の定めの廃止

2 継続雇用制度には、事業主が、特殊関係事業主(当該事業主の経営を実質的に支配することが可能となる関係にある事業主その他の当該事業主と特殊の関係のある事業主として厚生労働省令で定める事業主をいう。以下この項において同じ。)との間で、当該事業主の雇用する高年齢者であつてその定年後に雇用されることを希望するものをその定年後に当該特殊関係事業主が引き続いて雇用することを約する契約を締結し、当該契約に基づき当該高年齢者の雇用を確保する制度が含まれるものとする。

3 厚生労働大臣は、第一項の事業主が講ずべき高年齢者雇用確保措置の実施及び運用(心身の故障のため業務の遂行に堪えない者等の継続雇用制度における取扱いを含む。)に関する指針(次項において「指針」という。)を定めるものとする。

4 第六条第三項及び第四項の規定は、指針の策定及び変更について準用する。


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<参考文献及び資料>

(資料)

厚生労働省ホームページより最新平成24年改正法 Q&A

独立行政法人労働政策研究・研修機構サイトより 85)再雇用 ~定年退職後の再雇用および雇用延長~

判例 

 「京濱交通事件」について「952号 京濱交通事件 - 労働ジャーナル」のサイトより

   「津田電気計器事件 最高裁第一小法廷判決」について裁判所裁判例検索サイトより

   「日本ニューホランド事件」について「労働判例2011. 12. 15(No.1034)付録 」のサイトより

・論文

    LIBRA 2014年1月号 「近時の労働判例~労働法制特別委員会若手会員から~  第14回 最高裁平成24年11月29日判決 (津田電気計器事件)労働法制特別委員会研修員 大野 俊介」

(文献)

・「労使協定・労働協約完全実務ハンドブック」弁護士 渡邊 岳著 日本法令

*1:平成18年4月からは、62歳まで、平成19年4月からは63歳まで、平成22年からは64歳までの雇用確保の措置とされていればよく、65歳までの雇用確保措置が必要となるのは平成25年4月以降とされていた。

*2:経過措置により継続雇用制度の対象者を限定する基準を定めることができるのは、改正高年齢者雇用安定法が施行されるまで(平成25年3月31日)に労使協定により継続雇用制度の対象者を限定する基準を定めていた事業主に限られます。

*3:改正高年齢者雇用安定法においては、高年齢者雇用確保措置が講じられていない企業が、高年齢者雇用確保措置の実施に関する勧告を受けたにもかかわらず、これに従わなかったときは、厚生労働大臣がその旨を公表できることとされていますので、当該措置の未実施の状況などにかんがみ、必要に応じ企業名の公表を行い、各種法令等に基づき、ハローワークでの求人の不受理・紹介保留、助成金の不支給等の措置を講じることにしているとされています。

*4:被告会社の各事業所には当該事業所の過半数を代表する組合はなく、また労働者代表も選出されていなかったのに加盟する全京浜交通労組との間で労使協定を締結していた。また、継続雇用措置の導入を定める被告就業規則29条は、「協定をするため努力をしたにもかかわらず協議が整わない」という手続き要件を欠いており無効であると判示し、結論として、原告は、被告会社に対して、労働契約上の権利を有する地位にあることを認めている。出典:952号 京濱交通事件 - 労働ジャーナル社より

*5:原審の適法に確定した事実関係等の概要によると、被上告人の在職中の業務実態及び業務能力に係る査定等の内容を本件規程所定の方法で点数化すると,総点数は1点となるが、上告人は,被上告人に係る上記査定等の内容の点数化に当たり,直近の査定帳票を用いず賞罰実績につき表彰実績を加算しないなど評価を誤り,総点数を0点に満たないものと評価していた。

職務発明 その4 最新改正でリニアは走る?

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前回は、平成16年改正法の補足説明と最新の平成27年改正の経緯を簡単にご説明させて頂きました。

 シリーズ最終回の今回は最新改正の内容の概要について、簡単に説明いたします。

シリーズ記事の中で職務発明に関しては、特許法という法律の中の第35条に規定されているということを述べてきました。

その特許法について、

グローバル競争が激化する中、我が国のイノベーションを促進するためには、研究者の研究開発活動に対するインセンティブの確保と、企業の競争力強化を共に実現するための環境整備が重要であり、このような事情に鑑み、知的財産の適切な保護及び活用を実現するための制度を整備し、我が国のイノベーションを促進することを目的として平成27年7月10日に職務発明制度の見直しを含む特許法等の一部を改正する法律」平成27年法律第55号)が公布、平成28年4月1日に施行されました。 

改正法の内容としては、 

 ① 職務発明制度の見直し

 ② 特許料等の改定

 ③ 特許法条約及び商標法に関するシンガポール条約の実施のための規定の整備

以上の3項目です。

今回のテーマである上記①職務発明制度の見直しについての内容は、次の3項目です。

 ⑴ 職務発明に関する特許を受ける権利を初めから法人帰属とすることを可能とする

 ⑵ 発明者に対して現行法と実質的に同等のインセンティブ付与を法定       ⑶ 法人と発明者の間でのインセンティブ決定手続のガイドライン策定を法定化

昭和34年法を旧法と言っていて、 法第35条が今回の平成27年改正を含め2度改正された主な経緯について前回と前々回の記事でお話ししましたが、どちらの改正も産業界からの「相当の対価」についての労使による自主的決定の尊重による法的予見可能性の担保への強い要望がきっかけとなっています。

特に今回の改正に至る産業界からの要望の中には、特許を受ける権利そのものを従業者帰属から法人帰属へと転換し、インセンティブ施策への法の介入となる相当対価請求権は撤廃すべきだという要望があったとされています。(前回記事、参考を参照)

前回の平成16年改正でも、労働法的プロセス審査の考えを取り入れ、契約、勤務規則その他の定めにおいて、従業者等が支払を受けることができる対価について定めた場合には、原則としてその定めたところに基づき決定される対価を「相当の対価」としながらも、それが「相当の対価」と認められるためには、その対価が決定されて支払われるまでの全過程を総合的に評価して不合理と認められるものであってはならないこととされました。

 そのことについて、平成16年9月、特許庁により作成された「新職務発明制度における手続き事例集」では、

 使用者等と従業者等との間の自主的な取決めを出来る限り尊重し、法が過剰に介入することを防止する観点から、不合理と認められるか否かは、自主的な取決めから対価の支払までの全過程のうち、特に手続的な要素、具体的には使用者等と従業者等との間の協議の状況などを重視して判断することとしています。これにより、使用者等と従業者等による十分な話合いが促されるものと考えられます。この結果、使用者等と従業者等が共に協力しあって研究開発活動を活発化していく環境が整備されることが期待されます。

というように説明しています。

そのことにより、特許庁が行った改正後の企業の取り組み状況に関するアンケート調査によっても、大規模企業を中心としてではありますが、手続き面で改善が進んでいるということを覗い知れる調査結果が出ています。

このように、「相当の対価」についての不合理性の判断について、労使の協議等を重視するプロセス審査の考えを取り入れ、産業界の要望にできるだけこたえられる様に労使の私的自治の尊重を手続き面でとりいれて、調査結果でも一定の紛争防止の効果が期待できる内容の改正と思われていましたが、この平成16年改正でも、完全なる労使による私的自治が実現されたわけでなく、完全なる司法介入の可能性がなくなったわけでもないため、法的予見可能性がいまだ不十分ということによる産業界の前述のような要望へとつながっていたということです。

結果は、上記の通り、使用者側の要望について1勝1敗の改正内容というところでしょうか?

残念ながら(?)、インセンティブ施策への法の介入となる発明者による相当対価請求権は撤廃すべきだという要望については、今回の改正でも実現されませんでした。

発明者と研究開発投資を行う企業の利益を調整することにより、企業の研究開発投資を促し、我国の産業発展に資するという法の趣旨からは、当然かもしれませんね。

しかしながら、もともと「相当の対価」の労使取り決めによる決定を否定していたとされる、旧法の事を思えば、今回の「特許を受ける権利そのものを従業者帰属から法人帰属へと転換」を可能とする改正内容は産業界の要望にとって、大きな1勝と言えるのではないでしょうか?

しかも、後述しますが、いままでの「相当の対価」は「相当の利益」と内容が改められ企業側によるインセンティブ施策の裁量の幅を広げ、法による介入をできるだけ避けようとする改正内容になっていますし、法的予見可能性への担保については、使用者等及び従業者等が行うべき手続の種類と程度を明確にし、不合理性の判断に係る法的予見可能性を高め、もって発明を奨励することを目的として、経済産業大臣により指針が公表されており、おまけ付きの1勝と言えるかもしれません。

そもそも産業界から特許を受ける権利の法人帰属の要望があったのは、そのことにより企業側のインセンティブ施策の自由化を獲得し、法のインセンティブ施策への介入による発明者の対価請求権そのものを撤廃したかったからであるとする立場からは、その撤廃したかった発明者による対価請求権そのものが残っているのでは、権利の使用者帰属が認められても意味がないということになってしまいます。

しかし個人的には、判例の積み重ねによる企業側の改善は進んでいるとの反発も予想されますが、それでも旧法時代の労使関係に戻るだけの危険性*1を完全には否定できない以上、労使による私的自治の拡充だけではなく、手続き重視により一定の限度で司法の介入の可能性を残し発明者側の保護を図ろうとしたことは止むを得ないと思います。

 以上のような私見を述べると、職務上の発明と対価補償を一体として考えているからそのような意見が出るのであり、そもそも日本人労働者は企業に対する忠誠心も厚く、勤勉であるため、手続き改正が進んだ現行企業体制のもとでは、その発明に対するインセンティブ施策を完全に企業側の裁量に委ねても、旧法下でのような問題は起こらないのではないか?しかも組織に所属する労働者が、おうおうにしてリスク回避的であるという考えを前提するならば、職務発明と対価補償を一体として考えるのは、価値の低い発明に対して労働者のモチベーションをより喚起することが困難となるのではないか?その様な価値の低い開発と価値の高い開発の業務命令に対しての公平感はどのように担保するのか?そのような問題を解決するためには人事施策を含め、やはりそのインセンティブ施策を企業側の自由裁量にゆだねるべきである。という声が聞こえてきそうです。(汗)

確かにおっしゃることには一理あると思います。では、今回の改正内容でそのような事の実現はやはり不可能なのでしょうか?

条文の中身を見ていくことにしましょう。

【35条条文抜粋】

(第1項、第2項は、略)

 第3項 従業者等がした職務発明については、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利は、その発生した時から当該使用者等に帰属する。

 

第4項 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、若しくは使用者等のため専用実施権を設定したとき、又は契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等のため仮専用実施権を設定した場合において、第三十四条の二第二項の規定により専用実施権が設定されたものとみなされたときは、相当の金銭その他の経済上の利益(次項及び第七項において「相当の利益」という。)を受ける権利を有する。 

 

第5項 契約、勤務規則その他の定めにおいて相当の利益について定める 場合には、相当の利益の内容を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況、策定された当該基準の開示の状況相当の利益の内容の決定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況等考慮して、その定めたところにより相当の利益を与えることが不合理であると認められるものであつてはならない

 

第6項  経済産業大臣は、発明を奨励するため、産業構造審議会の意見を聴いて、前項の規定により考慮すべき状況等に関する事項について指針を定め、これを公表するものとする

 

第7項 相当の利益についての定めがない場合又はその定めたところにより相当の利益を与えることが第五項の規定により不合理であると認められる場合には、第四項の規定により受けるべき相当の利益の内容は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならない。

 第1項と第2項については、ほとんど変更ありませんので省略させていただきました。

まずは今回新たに追加された、第3項の権利の使用者帰属についての条文ですが、今回の大きな改正の目玉と言ってもよいかもしれません。改正前の35条においても、使用者は、契約・勤務規則その他の定めにおいて発明者から職務発明についての特許を受ける権利を取得する旨の規定をあらかじめ定めることができました。しかしながら、従前の法の内容は特許を受ける権利は発明者にあるとする発明者原始取得の考えを貫いていたため、一旦従業者に特許を受ける権利を帰属させ、それから使用者に譲渡させるという 二段構えの構成をとっていました。

どちらも結局は使用者に特許を受ける権利が帰属することになり、今回改正法第3項を新たに設け、その内容に従った手続きを取れば、その特許を受ける権利を発生した時から当該使用者等に帰属することとしたことによっても、前述した発明者による利益請求権が撤廃されずデフォルトされた状態で、どのような違いが生じるのでしょうか?

その答えは、今回の改正により期待される効果として挙げられている、改正前の2つの課題解決にあるとされています。一つが、現行制度下での共同研究における課題であり、もう一つが現行制度下での職務発明の二重譲渡問題です。

 

 現行制度下での共同研究における課題

・現行制度では、企業が、自社の従業者(共同発明者a)から特許を受ける権利を承継する場合、他社の従業者(共同発明者b)の同意も得る必要があるため、権利の承継に係る手続負担が課題。

・共同研究の途中で、従業者(共同発明者)の人事異動が発生した場合は、再度、同意 を取り直す等、 権利の承継に係る手続がより複雑化。

・共同研究の必要性が高まる中、企業のスピーディーな知財戦略実施の阻害要因の1つとなっている。

→ 特許を受ける権利を初めから使用者等に帰属させることにより、この問題を解決。

 

② 現行制度下での職務発明の二重譲渡問題

・発明者たる従業者が、自分の職務発明を自社に報告せずに、第三者にその特許を受ける権利を譲渡した場合において、当該第三者が使用者より先に特許出願をしたときは、現行制度下では、 第三者が権利者となる(二重譲渡問題)。

→ 特許を受ける権利を初めから使用者等に帰属させることにより、この問題を解決。

上記、①、②の課題は、どちらも現行特許法の33条と34条に基づく問題だったのですが、そのどちらも特許を受ける権利を初めから使用者等に帰属させることにより解決されることが期待されています。

<参考、特許法第33条及び第34条>

 

第三十三条 特許を受ける権利は、移転することができる。
2 特許を受ける権利は、質権の目的とすることができない。
3 特許を受ける権利が共有に係るときは、各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、その持分を譲渡することができない。
4 特許を受ける権利が共有に係るときは、各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、その特許を受ける権利に基づいて取得すべき特許権について、仮専用実施権を設定し、又は他人に仮通常実施権を許諾することができない。

第三十四条 特許出願前における特許を受ける権利の承継は、その承継人が特許出願をしなければ、第三者に対抗することができない。

ー第2項以下略ー

以上のように、新たな第35条第3項にもとづく帰属の意思表示のある職務発明規程等がある場合は、①特許を受ける権利は、発生したとき(発明が生まれたとき)から使用者等に帰属し、②従業者等は、相当の金銭その他の経済上の利益を受ける権利を有することになり、③ガイドライン(指針)に従って、相当の金銭その他の経済上の利益の内容を決定することになりますが、職務発明規程等がない場合は、従前通り特許を受ける権利は、発生したとき(発明が生まれたとき)から従業者等に帰属することになります。 

尚、特許庁が作成した「平成27年特許法等改正説明会テキスト」には、 権利の取得等に係る規程の例 が下記の通り掲載されていますので、参考にしてください。

 <第35条新3項が適用される規程例>

職務発明については、その発明が完成した時に、会社が発明者から特許を受ける権利を取得する。(ただし、会社がその権利を取得する必要がないと認めたときは、この限りでない。)

 <第35条新3項が適用されない規程例>

1 発明者は、職務発明を行ったときは、会社に速やかに届け出るものとする。

2 会社が前項の職務発明に係る権利を取得する旨を発明者に通知した時に、会社は当該職務発明に係る権利を取得する。

 第35条3項が適用されない規定例は、「あらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたとき」には該当しないということです。

特許庁は、「改正特許法第35条第3項の適用について 」という文書の中で

同項の「契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたとき」とは、特許を受ける権利の発生前すなわち職務発明の完成前に、使用者等が特許を受ける権利を取得する旨を契約、勤務規則その他の定めに規定したときを意味する

また、同項の「契約、勤務規則その他の定め」とは、必ずしも明文の書面である必要は無いと考えられていますが、後々の紛争防止の観点からできるだけ書面により明確化しておくことが望ましい

としています。指針では、就業規則労働協約により労働基準法第90条や労働組合法第14条の要件を満たしていたとしても、そのことのみを持って不合理性が否定されるわけではないと説明されており、その意味では平成16年法と変わることはありませんが、

もっとも、労働協約は、労使により対等な立場で締結されることを前提としていることから、労働協約の締結に至るまでの過程においては、使用者等と従業者等との立場の相違に起因する格差が相当程度是正された状況において、使用者等と労働組合の代表者との間で話合いが行われることが多いと考えられる。このような場合には、労働組合の代表者に話合いをすることを委ねている従業者等と使用者等との関係においては、協議の状況としては不合理性を否定する方向に働く。

ということなので、書面に定める場合は、できるだけ就業規則労働協約の両方に定めをしておくことをお勧めしたいと思います。

次に第35条4項についてですが、従来の「相当の対価」が「相当の金銭その他の経済上の利益」(以降、略して相当の利益という)に改められました。

 従来は、対価という言葉を用いていたわけですから、発明者が請求できるのは金銭補償ということになります。それが今回の改正では、金銭だけでなくその他の経済上の利益も認められることになったということになります。使用者側から考えれば、金銭以外のインセンティブ施策が認められたということになります。

それでは、その相当の利益は、その決定に際し、企業側の自由裁量がどのくらい制限されているのでしょうか?

 まずは、第35条第4項の条文による制限が考えられます。。

今回の改正で、特許庁が公表した特許法第35条第6項に基づく発明を奨励するための相当の金銭その他の経済上の利益について定める場合に考慮すべき使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況等に関する指針」以降、指針という)によれば、

従来と違い第35条第3項により、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたことにより、その特許を受ける権利が、その発生した時から当該使用者等に帰属することとなりますが、

職務発明に係る権利が使用者等に帰属した時点で相当の利益請求権が当該職務発明をした従業者等に発生することになる

ことは改正前となんら変わらないということになります。前述したように、特許法第33条第3項および、第34条第1項に基づく2つの課題、「共同研究による課題」「二重譲渡」の課題解決への期待という意味では企業側にとってのメリットですが、インセンティブ施策に対する企業の自由裁量という意味では、従来通りの制限となりえます。

第35条第3項にもとづく帰属の意思表示のある職務発明規程等がある場合の効果としては、①特許を受ける権利は、発生したとき(発明が生まれたとき)から使用者等に帰属し、②従業者等は、相当の金銭その他の経済上の利益を受ける権利を有することになるとともに、最後の3番目の効果として、ガイドライン(指針)に従って、相当の金銭その他の経済上の利益の内容を決定することになります

そして、改正前と変わらない内容として、第35条第5項により、相当の利益の内容を決定するための基準を策定する際の考慮すべき状況等に関する事項として、基準が策定され実際に支払われるまでのすべての過程が不合理性判断の総合判断対象となります。

従って、指針の定めいかんによっては、企業側のインセンティブ施策の自由裁量度が違ってくることになるわけです。

指針には、基準は必ず作成しなければならないわけではないとされていますが、内容検討の便宜上、基準を作成するものと仮定しての話とさせていただきます。

以降は、指針の中の「相当の利益」の決定方法につての説明の要約内容です。 

<相当の利益の内容の決定方法>

・基準には、ある特定の具体的内容が定められている必要があるわけではない

・相当の利益の内容が売上高等の実績に応じた方式で決定されなければ、不合理性の判断において不合理と認められるというわけではない。

・基準に上限額が定められていることのみをもって、不合理性の判断において、直ちに不合理性を肯定する方向に働くことはない。

・使用者等と従業者等との間で個別の合意をし、かつ、その合意が民法(明治二十九年法律第八十九号)その他の法令の規定により無効とされない限り、基準と異なる方法で相当の利益の内容を使用者等と当該従業者等との間で個別に決定することもできる。この場合においても、不合理性の判断は、あくまで協議の状況開示の状況意見の聴取の状況等考慮して行われる

 なるほど、説明内容だけを読むと基準の決定方法について、なんだか企業側の自由裁量性が広がっているような印象を受けるのですが、平成16年改正とどう違っているのかという意味では、特許庁が平成16年9月に作成した「新職務発明制度における手続事例集 」の次の説明を読む限りほとんど変わっていないと思います。

問2.新しい職務発明制度の基本的な考え方は何ですか。

職務発明の対価については、使用者等にとっての予測可能性を高めるとともに、発明評価に対する従業者等にとっての納得感を高めることで研究開発意欲を喚起する必要があります。またこの対価には、使用者等の経営環境や研究開発戦略等、業種や使用者等によって異なる諸事情に加え、研究開発の内容・環境の充実度や自由度、処遇を含めた評価など、それぞれの従業者等が置かれた状況を柔軟に反映することが許容されるべきだと考えます。このため、対価の決定は原則として両当事者間の「自主的な取決め」にゆだねることが適切であると考えます。すなわち、契約、勤務規則その他の定めにおいて職務発明に係る権利の承継等の対価について定めている場合には、その定めたところによる対価を「相当の対価」とすることを原則とします

 ということは、同条第4項関係での大きな改正内容はやはり、金銭以外のインセンティブ施策(経済上の利益)にあることになります。

新たな指針ではその金銭以外の経済上の利益について、次のように説明しています。

一 金銭以外の「相当の利益」を与える場合の手続について ー

1 職務発明をした従業者等に与えられる相当の利益には、留学の機会やストックオプション等、金銭以外の経済上の利益も含まれるこの経済上の利益については、経済的価値を有すると評価できるものである必要があり、経済的価値を有すると評価できないもの(例えば、表彰状等のように相手方の名誉を表するだけのもの)は含まれない。なお、相当の利益の付与については、従業者等が職務発明をしたことを理由としていることが必要である。したがって、従業者等が職務発明をしたことと関係なく従業者等に与えられた金銭以外の経済上の利益をもって、相当の利益の付与とすることはできない

2 契約、勤務規則その他の定めにより相当の利益を従業者等に与える際、使用者等は、金銭以外の相当の利益を従業者等に与える場合には、金銭以外の相当の利益として具体的に何が従業者等に与えられることとなるのか、従業者等に理解される程度に示す必要がある。すなわち、使用者等は、協議、開示、意見の聴取といった手続を行うに当たっては、金銭以外の相当の利益として与えられるものを従業者等に理解される程度に具体的に示した上で、当該手続を行う必要がある

3 金銭以外の相当の利益の付与としては、例えば、以下に掲げるものが考えられる。
(一)使用者等負担による留学の機会の付与
(二)ストックオプションの付与
(三)金銭的処遇の向上を伴う昇進又は昇格
(四)法令及び就業規則所定の日数・期間を超える有給休暇の付与
(五)職務発明に係る特許権についての専用実施権の設定又は通常実施権の許諾

上記説明内容3の金銭以外の経済上の利益の例示ついては、あくまで例示ですが、意味合い的には、アンダーラインに示されている通り、個人に与えられる経済上の利益ということだと思います。従って、従業員のための研究設備等の充実等は、含まれないでしょう。但し、発明者側が要望して労使で合意している場合は、もともと争いになることはないでしょうから、その発明者個人との関係では問題となることはないと思いますが、そのことを前例としてすべての発明者に同施策を講じることはできないということと理解してよいと思います。そのように考えると、やはり、従前から裁量幅は増えたとはいえ、「発明と経済的利益が対価関係に近い関係」と表現してもよいかもしれませんね。

 

企業側の立場で考えると、アメリカのように職務価値により給与を相違させる職務給制度等の導入等の人事施策を講じたくても、発明を理由とする昇進昇格ではないため認められないということになり、そういった意味では、いまだに制限要因と言えるのかもしれません。しかし一方で、人事施策等を講じることにより、職務発明についてのインセンティブ施策を考える場合は、様々な解決すべき課題があるのも事実だと思います。

例えば、上述した職務給制度を導入するとして、発明価値や難易度の高低の違いからくる公平性をどのように担保するのかという問題や研究開発職とそれ以外の職務の従業員とのインセンティブに対する不公平感に対してどのように納得性を高めていくのか、他の従業員にも研究開発職の従業員のインセンティブと同様の業務に対するインセンティブ施策を創設するのかといったような問題も課題のうちに入るのではないでしょうか?

そういった意味では発明と対価補償的な関係の方が解りやすい構図なのかもしれませんよね。

 

因みに、発明の国アメリカはどうなのでしょうか?

個人的には、個人の権利が尊重されている国で発明が活発であり、しかも訴訟大国というイメージも手伝って、発明者は莫大な資産形成をしているイメージがありました。

しかしながら、職務発明における特許を受ける権利の帰属・承継 については、従業者に帰属し、契約により使用者に承継となり、対価・補償等に関する法律上の規定の有無については、規定なしということだそうです。

 

(参考論文)職務発明をめぐる利益調整にお ける法の役割 ~アメリカ法の考察とプロセス審査への示唆~  坂井 岳夫 (同志社大学大学院准教授)

(前略)発明の譲渡に対する対価・代償の相当性に関しては, 裁判所は不介入の姿勢を示している。 アメリカにおいては対価・代償の相当性が約因*2の存否の問題として争われるところ, この点が争点となっている事案に目を向けてみると, 裁判所は, 雇用の継続, あるいは昇給・昇進といった事柄を認定するのみで約因の存在を肯定している。 すなわち, わが国において発明の経済的価値や従業者の貢献度との比較から対価の相当性が議論さ れているのとは異なり, アメリカにおいては, 約因の相当性は原則として問題とされないのである。
(中略)
アメリカの人事制度に関する研究, あるいは企業や研究機関に対する調査研究においては, 次のような指摘がなされている。 第一に, 賃金につき職務給が主流のアメリカにおいては, 担当職務の難易度や責任の重さに応じた賃金決定がなされているとされる。 第二に, 後述のように雇用の流動性が高いアメリカでは, 各職務の賃金決定において外部労働市場の賃金水準にも強い関心が払われているとされる。 第三に, アメリカでは, 組織内における処遇についても, 評価に納得が得られたうえで報酬に格差をつけるような仕組みが採られていると考察されている。 ここに挙げた指摘・考察を前提とすれば, アメリカにおける賃金・処遇の取扱いは, 賃金を職務に基づいて決定することで客観性が担保され, 外部労働市場における賃金水準を企業内部での賃金決定に採り入れることで対外的な公平性が担保され, 人事評価の納得度を高めることで対内的な公平性が担保されるものであるとの整理が可能であろう。

(中略)

これらの事情は, 職務発明の譲渡契約につき, 従業者は, 現に雇用契約関係にある特定の使用者のみならず, 外部労働市場に参入している潜在的な使用者とも, 取引の現実的可能性を有していることを示している。 そして, このような代替的取引機会の存在は, 使用者の機会主義的行動に直面した従業者に対し, 当該契約関係を離れ, 外部労働市場における潜在的な使用者たちと交渉を行う可能性を保障するものと評価することが可能である。 アメリカの職務発明制度は, このような方法によって従業者に実質的な交渉機会を保障するものであり, 究極的には, この点に契約による利益調整の正当性の根拠が求められるのである。

 ということで、アメリカと違い、雇用機会の流動性の低い日本においては、使用者の機会主義的行動に対して雇用の代替的取引機会の存在を担保に、対等な交渉力を持つことは容易でないということです。そこで、この労使の情報力格差、交渉力格差から発明者を保護することにより、産業の発展に寄与するという法の趣旨に沿った内容とするため、一定限度の司法の介入を可能とする制度にする必要があるということになるのでしょう。そういった意味では平成16年改正と同趣旨を堅持した内容となっており、大きな変更はありません。

条文でいえば、第35条第5項と同条第7項との関係ということになります。

条文内容は、上述を参照していただくとして、指針については、両者の関係について次のように説明しています。

 

第二 適正な手続

一 総論
1 法第35条第5項から第7項までの具体的な意味
(一)法第35条第5項は、同条第4項に規定する相当の金銭その他の経済上の利益(以下「相当の利益」という。)を契約、勤務規則その他の定めにおいて定めることができること及びその要件について明らかにしたものであって、その定めたところにより相当の利益を与えることが不合理であると認められるものであってはならないとしている。一方、同条第7項は、契約、勤務規則その他の定めにおいて職務発明(同条第1項に規定する職務発明をいう。以下同じ。)に係る相当の利益について定めていない場合、又は定めているがその定めたところにより相当の利益を与えることが同条第5項の規定により不合理であると認められる場合に適用される
したがって、同条第5項に規定する要件を満たす場合には、同条第7項は適用されない。また、契約、勤務規則その他の定めにおいて職務発明に係る相当の利益について定めていない場合、又は同条第5項に基づき、契約、勤務規則その他の定めにおいて定めたところにより相当の利益を与えることが不合理であると認められる場合には、同条第7項の規定により定められる内容が相当の利益となる

つまり、平成16年改正法の第35条第4項と同条第5項の関係と同様の内容ですから、企業側の改正要望のきっかけとなった司法介入の可能性が皆無になったわけではありません。従って、特許庁自らが「法的な拘束力は無いことに留意願います」としていた「手続き事例集」同様、指針の内容次第では、いまだ法的予見可能性が不十分として企業側のインセンティブ施策の自由裁量性の制限要因となりえることになります。従ってここから、第35条第6項の指針の話となるわけです。

極論すれば、判例の蓄積による司法判断如何ということになるのかもしれませんが、従来の手続き事例集があくまで「参考となる手続きの事例集」であったのに対して、今回の指針は、法人と発明者の間でのインセンティブ決定手続のガイドライン策定を法定化したという違いがあります。

しかも、そのガイドライン自体がその策定目的を不合理性判断に係る法的予見可能性を高め、発明を奨励することとしていますので、審議会自体が幅広い産学有識者を委員として構成され、その意見を聴いて専門的な知見を踏まえた内容としたのが今回の指針であるということも考え合わせると、ガイドラインに従った手続きを履践することによる司法介入の回避可能性という意味での法的予見可能性の担保機能は一応高まったと言ってもいいかもしれません。

第一 本指針策定の目的

1.本指針は、特許法(以下「法」という。)第35条第5項の規定により不合理であると認められるか否かの判断(以下「不合理性の判断」という。)においては、同項に例示する手続の状況が適正か否かがまず検討され、それらの手続が適正であると認められる限りは、使用者等(同条第一項に規定する使用者等をいう。以下同じ。)と従業者等(同項に規定する従業者等をいう。以下同じ。)があらかじめ定めた契約、勤務規則その他の定めが尊重されるという原則に鑑み適正な手続の具体的内容を明らかにすることにより、使用者等及び従業者等が行うべき手続の種類と程度を明確にし、不合理性の判断に係る法的予見可能性を高め、もって発明を奨励することを目的とする。

2.本指針は、幅広く有識者の意見を聴いて専門的な知見を踏まえた内容とすることで、不合理性の判断に係る法的予見可能性を高めるとともに、研究活動に対するインセンティブについて創意工夫が発揮されるよう当事者の自主性を尊重する観点から、産業構造審議会の意見を聴いて定められたものである
本指針の内容が使用者等及び従業者等をはじめとする関係者間において最大限尊重されることが望まれるとともに、これにより発明が奨励され、我が国のイノベーションが促進されることが期待される。

 指針についても、法の趣旨や目的に沿ったものとなるように、その運用や解釈の基準を示したものと解釈すると、指針に従って運用していれば、リスクは避けられるということなります。そういう意味では法的予見可能性は高まったと言えても、運用の拡大解釈をさせないためにリスク回避型の基準を示したものという意味では、企業側のインセンティブ施策の自由裁量の獲得という側面においてなお制限要因であると言えなくもありません。

しかし、指針の作成目的は法的予見可能性を高め法の趣旨である発明を奨励し産業の発展に寄与することになるのですから、そのリスク回避機能により使用者側から発明者側への手続き関与の積極的働きかけが促されることにより、労使が納得性の高い基準作成に寄与する機能が高まることは結果的にはよいことだと思います

前回の平成16年改正の記事の中では内容まで触れなかった野村證券職務発明対価請求控訴事件*3では、控訴人に特許を受ける権利を承継させたことによる相当対価は,認められないとしながら、適正手続きのための基本的要素を欠いていることを理由に被控訴人発明規程に従って発明の対価を算定することは,不合理と認められるとされた事案です。

従って、勝訴したものの会社側は、会社職務発明規定について適正手続きをきちんと履践しなければ、今後も規定に基づき対価を支払うことについては不合理と判断されるという結果になってしまいました。

控訴人は,特許法35条4項に定める「協議の状況」「基準の開示の状況」「意見の聴取の状況」は,不合理性を判断するための必須の要素ではない,その他の要素も上記3要素と同等の重みがある考慮要素である旨を主張する。確かに,上記「協議の状況」「基準の開示の状況」「意見の聴取の状況」は,不合理性の認定のための考慮要素にすぎず,「協議」「基準の開示」「意見の聴取」が合理性の認定のための要件となるものではないから,「協議」「基準の開示」「意見の聴取」の存否それ自体を問題とすべきものではない。その限度においては,被控訴人の上記主張は正当である。 しかしながら,「協議」「基準の開示」「意見の聴取」は,一般的に,適正な手続のための基本的要素であるところ,控訴人発明規程は,そのいずれについても不十分であると認められ,また,その余の手続面について考慮すべき事情は,本件証拠上,何らうかがうことができないそうであればその他の要素を考慮するまでもなく控訴人発明規程に従って本件発明の対価を算定することは,不合理と認められる
控訴人の上記主張は,採用することができない。

(3) 小括

以上のとおりであり,被控訴人発明規程に従って本件発明の対価を算定することは,不合理である。

3争点(2)イ(独占的利益の有無)について

上記1のとおり,被控訴人発明規程に従って本件発明の対価を算定することは不合理であると認められるので,次に,特許法35条5項に基づき,相当対価の算定をする・・・・(後略)

上記判決は、適正手続きのための基本的要素である「協議」「基準の開示」「意見の聴取」がいずれも不十分であるため、その他の要素を考慮することなく控訴人発明規程に従って本件発明の対価を算定することは不合理と認められると結論付けています。

上記判決内容を素直に読むと、適正な手続のための基本的要素について被控訴人発明規程は,そのいずれについても不十分であると認められ,また,その余の手続面について考慮すべき事情は,本件証拠上,何らうかがうことができないために、その他の要素を考慮するまでのなく、被控訴人発明規程に基づき相当の対価を算定することは不合理であるという結論ですから、手続きの履践状況がその他の要素も考慮してある程度担保されていれば不合理ではないというように理解できなくもありません。

では、どの程度、基本要素となる適正手続きが行われていればよいのかという疑問がわいてきますが、残念ながら、その程度にまでは判決内容として触れられていませんので覗い知ることはできないということになります。

従って、会社側としては、今後の対策としては、やはり今回の指針に従った手続きをこまめに履践しておくほかないでしょう。

因みに、本件事件東京地裁の一審判決では、基本要素となる適正手続きの代替事情については、特段の事情を要求しており、そのことについて次のように述べています。

(2) (前略)特許法35条4項によれば,使用者等は,勤務規則等において従業者等から職務発明に係る特許を受ける権利等の承継を受けた場合の対価につき定めることができ,その定めが不合理でないときは使用者等が定めた対価の支払をもって足りるところ,不合理であるか否かは,① 対価決定のための基準の策定に際しての従業者等との協議の状況,② 基準の開示の状況,③ 対価の額の算定についての従業者等からの意見聴取の状況,④ その他の事情考慮して判断すべきものとされている。そうすると,考慮要素として例示された上記①~③の手続を欠くときは,これら手続に代わるような従業者等の利益保護のための手段を確保していることその定めにより算定される対価の額が手続的不備を補って余りある金額になることなど特段の事情がない限り,勤務規則等の定めにより対価を支払うことは合理性を欠くと判断すべきものと解される

手続不備を補う高額の対価を支払っていれば、例示された要素の手続きを欠いていても合理的と判断される可能性があるということであり、大変興味深い内容の判断となっています。

それに対して、控訴審判決は、手続き重視の考えにつて、平成16年改正法の趣旨との関係では、次のように述べています。

(前略)まず,平成16年法律第79号による特許法35条の改正の趣旨は,同改正前の旧35条4項に基づく相当対価の算定が,個別の使用者等と従業者等間の事情が反映されにくい相当対価の額の予測可能性が低い従業者等が職務発明規程の策定や相当対価の算定に関与できていないとの問題があるという認識を前提に,相当対価の算定に当たっては,支払に至る手続面を重視し,そこに問題がない限りは,使用者等と従業者等であらかじめ定めた自主的な取決めを尊重すべきであるというところにある。そこで,検討するに,上記イからエまでの認定によれば,被控訴人発明規程は,控訴人を含む被控訴人の従業者らの意見が反映されて策定された形跡はなく,対価の額等について具体的な定めがある被控訴人発明規程2に至っては,控訴人を含む従業者らは事前にこれを知らず,相当対価の算定に当たって,控訴人の意見を斟酌する機会もなかったといえる。そうであれば,被控訴人発明規程に従って本件発明の承継の対価を算定することは,何ら自らの実質的関与のないままに相当対価の算定がされることに帰するのであるから,特許法35条4項の趣旨を大きく逸脱するものである。そうすると,算定の結果の当否を問うまでもなく,被控訴人発明規程 に基づいて本件発明に対して相当対価を支払わないとしたことは,不合理であると認められる。

発明者が何ら自ら実質的関与のないまま相当対価の算定がされることに帰するのは、改正法第35条4項の趣旨を大きく逸脱することになり、算定の結果の当否を問うまでもなく、被控訴人規定に基づき相当対価を支払わないとしたことは不合理であるとしています。この控訴審判決では、被控訴人から控訴人に支払われていた高額の年収については、発明の対価として支払われている金銭ではないとして、考慮要素として否定されていますが、仮に発明の対価として支払われた考慮要素であったとしても、「その当否を問うまでもなく」という言葉通り、不合理と判断されていたということになります。

個人的には、控訴審の立場に賛成です。

そして、その判例法理を意識したかどうかはさておき、今回の改正指針では、この基本的要素について、例示ではあるが、不合理性の判断においてまず検討されることを原則とする要素と説明しています。

第二 適正な手続

一 総論
1法第35条第5項から第7項までの具体的な意味

(一)略

(二)法第35条第5項にいう「その定めたところにより相当の利益を与えること」とは、契約、勤務規則その他の定めにより与えられる利益の内容が、職務発明に係る経済上の利益として決定され、与えられるまでの全過程を意味する。(中略)
全過程における諸事情や諸要素は、全て考慮の対象となるが、その中でも特に同項に例示される手続の状況が適正か否かがまず検討されることが原則である。なお、その定めたところにより相当の利益を与えることについての不合理性の判断は、個々の職務発明ごとに行われる。

最後になりましたが、労働法にも関連するもう一つの職務発明の問題があります。

会社側が、職務発明を特許として公表すると、より優れた代替技術により他社に優位されることを避けるために、発明の内容を営業秘密として従業員に守秘義務を課す場合の問題です。その場合は、相当の利益請求権はどうなるのでしょうか?

上記控訴審判例では、そのことについて次のように述べています。 

 (2) 独占的利益の有無について

使用者等は,職務発明について無償の法定通常実施権を有するから(特許法35 条1項)相当対価の算定の基礎となる使用者等が受けるべき利益の額は,特許権を受ける権利を承継したことにより,他者を排除し,使用者等のみが当該特許権に係る発明を実施できるという利益,すなわち,独占的利益の額であるこの独占的利益は,法律上のものに限らず,事実上のものも含まれるから,発明が特許権として成立しておらず,営業秘密又はノウハウとして保持されている場合であっても,生じ得る。

 参考までですが、今回のテーマで私が何度か引用させていただいた独立行政法人労働政策研究・究研修機構のデータについて、同判例

 

  なお,独立行政法人労働政策研究・研修機構の平成18年7月7日付け調査(乙7)によれば,アンケート回答企業のうち,自社実施又は他社への実施許諾等があった場合に,いわゆる実績補償を行う企業は76.8%であるとした結果が報告されているが,どのような要件の下において実績補償を支払うとしているのかなど,それら企業の発明規程の内容は不明であり,本件においては,上記調査結果を,直ちに考慮要素とすることはできない。 

 以上の様に述べられておりますので、参考にする際には、データ算出の要件等、充分にご留意ください。
 

以上述べてきた通り、今回の職務発明の改正では、第35条第3項の要件を満たした場合には、発明の当初から特許を受ける権利が使用者に帰属しますが、一方で帰属と同時に労働者側に相当の利益請求権が発生するため、企業のインセンティブ施策の自由裁量に対する制限要因はなお存続しているといえ、司法の介入による労働者の対価請求権そのものを撤廃するという目的は完全には果たせなかったということになります。しかしながら、指針を作成公表することを法律に明記することにより、一定の法的予見可能性の向上という目的はある程度達成できたと評価してよいかもしれません。

何よりも、指針が使用者側に与えるリスク回避的機能により、基準作成手続に対する発明者側への積極的働きかけを促す効果が紛争防止に果たす役割は、法の趣旨の達成にとって重要な存在となると言っても過言ではないと思います。

ただ、本来、企業側の自由裁量に委ねられるべき金銭以外のインセンティブ施策について、事後的に司法が介入し、諸要素を考慮したうえでイノベーション促進に資する利益の内容を客観的に決定することは困難であるという指摘もあり、その立場でいえば、新しい第7項に基づく「相当の利益」は結局のところ金銭の具体的額として決定されることになるといえるかもしれません。

その様なことになれば、指針で例示された金銭以外の相当の利益のインセンティブ施策を講じていたとしても、高額の請求認容の可能性が残っていることになりますので、あとは、司法介入を極力避けるという意味でも、企業側にはぜひ今回の指針を順守した手続き履践を心掛けていただき、我国の産業における研究開発活動が活発になることを一国民として願いたいと思います。

参考までに、出典を特許行政年次報告書2014年版 としてまとめられた「主要国の特許出願件数と審査官数の推移」データによれば、

中国における特許出願件数は、2010年には我が国を追い抜き、2011年には米国の出願件数を超え、2013年には、82.5万件に達している。

我が国は任期付特許審査官の確保により特許審査体制を強化。しかしながら、審査官数としては米欧中の半分未満であり、今後は任期付特許審査官の任期が順次満了する予定。

ということです。

フーバーレポートという私の定期購聴している、レポートの中でフーバー研究所の西教授がおっしゃっていたように、我国の技術が、他国で先に採用されている状況を一刻も早く改善されることを望んでやみません。日本において中国で走っているリニアモーターカーよりも、安全性が高く高性能のリニアが走る姿を早く見たいものです。

今回のテーマは以上で最終回となります。

今回は長々とした説明になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。次回テーマについては今のところ未定ですが、ご了承ください。

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ワークライフマネジメント研究所 所長 百武祐文(ヒャクタケ)まで

 本記事を掲載した翌日に、誤字脱字および補足説明の必要性有と判断したため、若干の変更を加えています。

 

*1:勤務規則等に定められた額が支払われていたとしても、これによる対価の額が「相当の対価」に満たない場合には不足分の支払いを請求できることを最高裁が認める以前の実務の世界では、使用者が一方的に定めた勤務規則による相当の対価を従業員側に支払うだけで済ませてしまうということが、当然のように行われていて、従業員側から不満が多発するとか、勢い訴訟までに発展するということは殆どなかったと言われています。

*2:アメリカ法においては, 当事者間に生じた約束を法的拘束力のある契約に高めるための要件とし て, 約因の存在が求められている。 ここで, 約因 (consideration) とは, 約束と交換的に取引さ れる履行または反対約束を指す。 出典 同論文

*3:http://tokkyo.hanrei.jp/hanrei/pt/11202.html

職務発明 その3 もう改正?

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前回の職務発明の記事では、平成16年改正の内容について簡単にお伝えしました。

今回はシリーズ最終回の予定でしたが、前回の平成16年改正の補足説明と最新の法改正に至る経緯の内容についてお話ししていこうと思います。

 前回お伝えした様に、モデル裁判例であるオリンパス光学工業事件最高裁判決以降、青色ダイオード職務発明について争われた日亜化学工業事件(判決は604億円の認容,その一部請求として 200億円を認定、高裁で被告会社が原告に6億857万円を支払うことで和解)をはじめ発明者に対する高額請求認容判決が続いた(但し、上記日亜化学工業事件の認容額は異例の高額)こともあり、使用者側としては、「(契約)、勤務規則その他の定め」で定めた金額を支払っていただけでは、訴訟を起こされるリスクの予測可能性が困難であるとして、「相当の対価」については全面的に契約の原則である労使私的自治の原則に委ねるべきであるという声が産業界から相次いだためとされています。

 

そういうわけで、平成16年改正では、発明者側に対価請求権を存在させたままの状態で、その法的予測可能性を担保するため「相当の対価」については、労使間による自主的な取り決めを尊重するという意味で、できるだけ法による過剰な介入を回避することとし、労働者と使用者という労働現場における立場の相違からくる情報の質や量、交渉力の格差から起こりうる発明者側のインセンティブの不当な低廉化の事態に対する予防策として、「契約、勤務規則その他の定めにおいて、従業者等が支払を受けることができる対価について定めた場合には、原則としてその定めたところに基づき決定される対価を「相当の対価」とすることができる」こととしながらも、それが「相当の対価」と認められるためには、その対価が決定されて支払われるまでの全過程を総合的に評価して不合理と認められるものであってはならないこととされました。

平成16年9月特許庁により作成された「新職務発明制度における手続き事例集」では、

なお、使用者等と従業者等との間の自主的な取決めを出来る限り尊重し、法が過剰に介入することを防止する観点から、不合理と認められるか否かは、自主的な取決めから対価の支払までの全過程のうち、特に手続的な要素、具体的には使用者等と従業者等との間の協議の状況などを重視して判断することとしています。これにより、使用者等と従業者等による十分な話合いが促されるものと考えられます。この結果使用者等と従業者等が共に協力しあって研究開発活動を活発化していく環境が整備されることが期待されます。(中略)

全過程の中には、どのような手続が行われたのかという意味における手続面の各要素及び対価を決定する基準の内容や最終的に決定された対価の額といった実体面の各要素双方が含まれます。ただし、不合理と認められるものであるか否かの判断において、実体面の要素は、手続面の要素と比較して、補完的に考慮されます。なお、「その定めたところにより対価を支払うこと」についての判断は、個々の職務発明ごとに行われます。 

とし、そのようにして決められた「相当の対価」が手続き面、実態面双方から考慮して不合理と認められる場合には、従来の職務発明制度と同様、法が決定する対価を「相当の対価」とするとしており、この新たに規定された第35条の4項、5項が従来の制度と異なる大きな改正点であると説明しています。

尚、同事例集は、改正後の第35条第4項*1に規定されている手続の「…協議の状況…」「…開示の状況…」及び「…意見の聴取の状況…」については例示であるとしながら、特定の 職務発明に係る対価が決定されて支払われるまでの全過程のうち、特に重視して考慮される手続的な要素を例示していると説明しています。

つまり、「相当の対価」の基準の作成手続に発明者を参加させることにより労使双方、特に発明者の納得性を高め「相当の対価」についての紛争防止につなげ、我国の産業の発展に資するという法の趣旨に寄与することができる・・・という内容の改正です。

そのことが、この平成16年改正で、「相当の対価」について労働法のプロセス審査が取り入れられたと言われています。*2

以上、説明してきた通り、平成16年改正では、第35条第4項に沿って作成された「相当の対価」についての基準が不合理と認められなければ、使用者が作成した「契約・勤務規則その他の定め」に規定した額が原則「相当の対価」とされ、司法が介入することを避けることができることとなるわけです。

さて、この平成16年改正で、産業界が求める予測可能性が担保され、労使間での紛争を未然に防ぐことができたのでしょうか?

前回ご説明した通り、残念ながら法の適用に関する基準により、この平成16年改正法で判断された判例は少なく蓄積がない状態が現状です。

同事例集では、法的予測可能性を高めるために、不合理性の判断において考慮される要素につき、「不合理性を肯定する方向に働く」「不合理性を否定する方向に働く」という言葉を用い、各々の具体的ケースについてQ&A方式で解説がなされていますので、「相当の対価」の基準作成についてのある程度の目安となっていることは確かだと思います。

<参考:特許庁ホームページ:企業等における新職務発明制度への取組状況について

企業等における新職務発明制度への取組状況について | 経済産業省 特許庁

職務発明制度に対する企業等の取組について把握するために、日本において平成16年に出願公開された特許出願が10件以上ある企業、大学、公的機関2019法人を対象として、平成18年1月にアンケート調査を行い、1093法人からの有効回答を得た。(大企業775法人、中小企業257法人、大学・公的機関61法人)
このアンケート調査結果より、各企業等における新職務発明制度に対応した各企業の取組は、順調に進んでいるものと考えられる

<別紙1:抜粋>

(2)従来の規程からの変更点 
規程が既にあった企業等において、新職務発明制度に対応して規程を改定した点は、「対価の算定方法の変更」62.3%(540 法人)が最も多く、続いて、「従業者等に対する意見聴取の項目を追加」58.4%(506 法人)であった。


(3)新規程の施行前に承継した発明の取扱い 
新規規程施行後に支払う対価について新規程を適用する企業等65.0%(595 法人)に上り、うち 55 法人は既に支払い済みの対価についても再計算し、遡って支払っている。他方、旧規程を全面的に適用する企業等は 15.6%(143 法人)であった。

前回ご紹介した独立行政法人 労働政策研究・研修機構の調査データの結果でも、概して大規模企業については、改正法を踏まえた基準の見直し等を含む手続き面の整備が進んでいる状況がうかがえる結果となっています。

しかし、中小企業においては、なお、「相当の対価」についての規定の整備状況は芳しくないと言われていて、従前のやり方同様、使用者が一方的に「相当の対価」を支払って済ませているような場合には、改正法35条第5項*3が適用され、司法により「相当の対価」が決定さのれる危険を大いにはらんでいるということになります。その場合は、法の適用基準は関係なく、旧法の第4項であろうが、改正法の第5項であろうが、従前の判例法理により、多額の請求認容につながるリスクがあるということになります。

ただし、大規模企業を中心としてではありますが、この平成16年改正法を踏まえた手続面の改善は順調に進んでいるということであり、従前のような大型請求訴訟にまで発展する可能性は低減していると言えるのかもしれません。

では、何故、この平成16年改正の効果が期待されている中で、判例蓄積を待つこともなく、今回の新たな平成27年改正がなされたのでしょうか?

話を先述の「手続事例集」の戻すと、

総合的な判断においては、全過程のうち手続面の要素が重視され、実体面の要素が補完的に考慮されます。一般に、手続がそれ自体としては不合理とは認められない場合には、対価が低額であっても不合理であると評価される可能性は低いと考えられますが、最終的に算定された対価の額が過度に低額であるような場合には、総合的な判断において不合理であると評価される可能性があると考えられます。また、不合理性の判断においては、全過程の中の一つの要素が不合理性を肯定する方向に働いたとしても、それが結論において不合理性を肯定することに直結するわけではありません。

 

或いは、平成16年改正においては、手続き重視の考え、即ち、労働法的アプローチであるプロセス審査論が取り入れられたと言われているということを書きましたが、

特許法第35条において規定されている「契約、勤務規則その他の定め」の中には、労働協約就業規則も含まれると一般的に解釈されており、「基準」を労働協約就業規則で定めることも可能です。この場合、労働協約就業規則が有効に成立していれば、これらの「基準」に定められた内容について労働法上の効力が発生することは事実ですが、そのことをもって直ちに特許法上の不合理性の判断においても不合理性が否定されるわけではありません。当該「基準」の不合理性の判断は、「基準」の有効性とは別に、特許法第35条第4項に基づいて判断されます。したがって、「基準」を労働協約就業規則で定めたとしても、常に不合理性が否定されるものではありません。

第1回目の記事の繰り返しとなりますが、特許法29条1項は、

業務上利用することができる発明をした者は、特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明等一部の場合を除き、その発明について特許を受けることができる。

特許権の発明者帰属を認めています。

従って、会社従業員が職務上発明を行った場合でも、特許を受ける権利は従業員個人に原始的に帰属します。そして、モデル裁判例であるオリンパス光学工業事件の控訴審判決(東京高裁平成13年5月22日判決)は、使用者が勤務規則等において、特許権の承継等に関して一方的に定めることができることを認めたうえで、特許法35条3項、4項は強行規定であるから、上記定めがこれらに反することができないことは明らかである。

と判事しています。

つまり、労働法上は有効な成立要件である合意の原則の定めがあったとしても、強行規定である特許法35条の3項、4項には反することができないということです。

というこは、同じ強行規定についての労働基準法上は有効であっても、特許法上の不合理判断については別意に介されるとことがあるといっているのです。

あくまで、同条3項(昭和34年法)の対価請求権は特許法が認める発明者固有の権利であり、それが職務上の発明という労働契約の役務提供の過程でなされたものであったとしても、産業の発展に資するという特許法の目的のため労使間の利害を調整して決定されなければならず、たとえそれが形式上労使合意の基準であっても、労使間の力関係を考慮して、その額についての不合理性の判断については司法審査に服さなければならないということで理解してよいのでしょうか?

ともあれ、この紛争防止効果が期待されている平成16年改正の中にあっても、完全に労使間の私的自治に委ねられているわけではなく、つまり、完全に司法介入の可能性がなくなったわけでもなく、法的予見可能性がいまだ不十分であり、手続き重視の改正法の下でも、対価の額が僅少だということで訴訟を提起されれば、前述したように、従来の裁判例に基づき巨額の請求認容につながる恐れもあり

そのようなことになれば企業側は安全サイドに立った体制を構築せざるを得ず、そのため運用管理コストばかりが嵩んで、従業者へのインセンティブやその他の経営活動に充てるべき資源が無駄になっていること、発明者だけを特別に遇することにより不公平感が生じ、チームワークを阻害する事態が生じてもそれを変更できないこと、そもそもリスクを負って研究開発に取り組む企業がその成果を享受するのは当然の事であり、複雑化する社会において企業の創意工夫に任されるべき従業員のインセンティブ施策に法が介入するのは妥当ではなく、日本の産業競争力強化を阻害する要因となっていること、他方優秀な技術者を惹きつけ、従業者のモチベーションを引き上げるようなインセンティブ施策を講じなければ企業が競争社会を勝ち抜くことはできないのだから、法の強制がなくなっても従業者の不利益になることはない・・・などと主張し、権利そのものを従業者帰属から法人帰属へと転換し、インセンティブ施策への法の介入となる相当対価請求権は撤廃すべきだという要望が産業界から出されていたことがきっかけとなったとされています。(注ア)

今回は、最新改正内容まで解説に入る予定でしたが、一回分の記事のスペースの事を考え、内容については、次回記事で簡単に説明して今回のテーマを終了する予定です。

 

<参考文献>

(論文)

(注ア)平成27年職務発明制度改正についての一考察」井上 由里加 一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授

職務発明制度の平成16年法改正後の運用について」帖佐 隆 久留米大学法学部教授

(資料)

「新職務発明制度における手続き事例集」特許庁

「企業等における新職務発明制度への取組状況について」(別紙1)特許庁

 

*1: 契約、勤務規則そ他定めにおいて前項対価について定める場合に、対価を決定するため基準策定に際して使用者等と従業者等と間で行われる協議状況、策定された当該基準開示状況、対価額算定について行われる従業者等から意見聴取状況等を考慮して、その定めたところにより対価を支払うことが不合理と認められるもであってならない。

*2:労働法の実務では、解雇を例にすると、解雇という事実自体より、そこに至るあらゆるプロセスを重視して違法性が判断されるというような考え。

*3:前項対価について定めがない場合又は、その定めたところにより対価を支払うことが同項規定により不合理と認められる場合には、第三項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇そ他の事情を考慮して定めなければならない。

緊急報告 東京高裁判決 「弱」はいくら集まっても「弱」が結論?

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以前の記事で取り上げた、某大手企業の若手男性従業員の自殺に対する労災認定をめぐって争われていた事件に対する、高裁判決が東京高等裁判所で昨日の2月22日に下されました。

結果は、遺族の無念を晴らすことはできず、労災が認められませんでした。

一審の時は、一部暴言や退職強要の事実を認めたものの、その心理的負荷が労災の認定基準に不足するという判断だったのに対し、今回は、「退職強要そのものがなかった」というのが、遺族側敗訴の理由とされています。

遺族側は上告するとしています。

以前の記事で、被害者男性は、6歳の時に脳腫瘍が見つかり左半身に障害を残した経験があり、認定基準の業務以外の心理的負荷及び個体側要因の判断において何らかの影響を与えた可能性もあるということを書きました。

簡単に精神障害の労災認定についておさらいすると、精神障害についても労災認定、つまり業務災害と認められるためには、業務起因性が必要なのですが、当該疾病の性質上、対象疾病の発病に至る原因の考え方については、「ストレ ス-脆弱性理論」に依拠しているとされているため、この業務起因性の判断が非常に難しいとされているということを前回までにお話ししました。

従って、 

現在の心理的負荷による精神障害の労災請求事案の業務上外の判断については、
心理的負荷による精神障害の認定基準」(H23.12.26 基発1226 第 1 号 )
により行われていますが、その基準の中では、強い心理的負荷とは、(中略)同種 の労働者が一般的にどう受け止めるかという観点から評価されるものであり、「同種の労働者」とは職種、職場における立場や職責、年齢、経験等が類似する者をいうとされています。

 通常の流れで行けば、業務以外の心理的負荷や個体側要因が対象疾病の発病の原因でなければ、心理的負荷「強」であれば対象疾病に業務起因性が認められることになるのですが、既往の精神障害が悪化したと認められようとした場合は、心理的負荷が「強」では業務起因性が認められず、更に強度の強い「特別の出来事」が必要となります。

そのことが、現在の精神障害の労災認定基準の欠点であると指摘する声もあり、今回の事件でも争点となっていたわけです。

対象疾病の「ストレス‐脆弱性理論」に依拠しているという性質上、既往症が自然の経過を超えて著しく悪化したと認められることが客観的に必要というのが、「特別の出来事」が必要とされている理由です。

しかし、実は、本件一審判決の3週間前に、似たような事案として、既往症のある被害者に対して、この「特別の出来事」が無くても、労災認定を認めた判断を下した裁判があるということで、今回の事件との対比で至る所で引用されています。

(遺族補償給付等不支給処分取消請求控訴事件 平成28年12月1日判決言渡 名古屋高等裁判所

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/559/086559_hanrei.pdf

事件の概要は、

夫であるAが自殺したのは株式会社Bにおける過重な業務に起因するものであると主張して,岐阜労働基準監督署長に対して,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という )による遺族補償給付及 び葬祭料の支給を請求したところ,平成23年9月27日付けでいずれについても支給しない旨の処分(以下「本件各不支給処分」という )を受けたことから,本件各不支給処分の取消しを求めたことに対し、遺族側の主張が認められたため、会社側が一審判決の取り消しを求め、控訴した。

という内容です。結果としては、一審判決と同様会社側が敗訴しています。

裁判長は、判決の中で、「ストレス‐脆弱性」論に基づく、既往症と「特別な出来事」との関係について、次のように述べて、特別な出来事がなければ一律に業務起因性を否定することについて、疑問があると指摘しています。

(前略)Y医師は,精神障害を発病している者は生活の中で遭遇する些細な出来事にも過大に反応する傾向があり,生物学的要因による精神障害の自然的悪化等も含め,精神障害の病状が揺れ動きながら推移しているで、たまたま業務において「強い心理的負荷」に遭遇したからといって,それが悪化の有力原因であるとは,医学的根拠をもって断定できず精神障害を発病していない者に比べ,個体の反応性,脆弱性(個体側要因)の割合が大きくなっているから,個体側要因の方が相対的に有力であると判断されると指摘する。確かに,精神障害を発病していない者に比較して精神障害を発病している者の個体側要因は大きくなることが認められ,業務における「強い心理的負荷」に遭遇した場合に,それが悪化の有力原因であると医学的に断定できないとしても,個体側要因との比較において,直ちに,かつ,一律に個体側要因の方が相対的に有力であるとの結論を導くことができるかについては疑問があるといわなければならない。業務における「強い心理的負荷」も,健常者を精神障害の発病に至らせるだけの強い起因性を有する事情だからである。その意味では,精神障害を発病している者であっても,少なくとも「特別な出来事」があれば,これを悪化の原因であると推認することができるという点では,迅速かつ公正な業務上外の審査を行うために策定された認定基準としての意義があるが,逆に,認定基準が,健常者において精神障害を発病するような心理的負荷の強度が「強」と認められる場合であっても 「特別な出来事」がなければ一律に業務起因性を否定することを意味するのであれば,このような医学的知見が精神科医等の専門家の間で広く受け入れられていると認められないことは,補正して引用した原判決が説示するとおりであり,上記のような疑問あるいは「特別な出来事」がなければ一律に業務起因性を否定することは相当ではないとの考え方は,認定基準の策定に際しての専門検討会での議論の趣旨にも合致すると解される。


しかし,既に精神障害を発病(専ら業務外の心理的負荷により発病した場合を含む )している者が,業務において,健常者を精神障害の発病に至らせるだけの「強い心理的負荷」に遭遇し,既に発病していた精神障害が悪化した場合に,原則として業務に内在する危険の現実化(業務起因性がある)と捉え,相当因果関係が あるとまでいえるかは議論の余地があり当該業務上の心理的負荷の程度,業務外の心理的負荷の有無・程度,個体側の要因等を総合的に検討して,相当因果関係の有無を判断するのが相当と考えられる。そして,本件では,上記のとおり,うつ病発病後の業務における心理的負荷の強度の総合評価は「強」であり,それ自体,業務に内在する危険を現実化させるに足りるものであったこと,Aにとって,うつ病の悪化の原因となる業務以外の要因による心理的負荷は特に認められず,業務以外の些細な出来事に過剰に反応したとの事情も認められないこと,Aのうつ病の発病に業務起因性は認められないとしても,Aのうつ病はBにおける業務と全く無関係に発病したものと認められないことは,補正して引用した原判決が認定するとおりであり,むしろ,うつ病を発病するまでにAに認められた業務における心理的負荷が決して小さくなかったことからすれば,Aに脆弱性が認められるとしても,その程度は小さいものと推認されるし,うつ病を発病したことによってAの脆弱性が増したとしても,それは一面において業務に由来する部分があるともいえることを指摘することができ,これらの事情を総合考慮すれば,Aの業務による心理的負荷とAのうつ病が悪化して自殺を図り死亡したこととの間には相当因果関係を認めるのが相当である。

 控訴人(Y医師及びZ医師の上記見解も含む )は 「特別な出来事」が 存在しなければ,精神障害を発病した後の症状の悪化に業務起因性は認められないとの前提に立って,Aにうつ病の悪化が認められるとしても,それは自然経過の範囲内である 自然的悪化である 旨主張するが 上記のとおり業務における「強い心理的負荷」に遭遇した場合,個体側要因との間で,直ちに,かつ,一律に個体側要因の方が相対的に有力であるとの結論を導くことができるかについては疑問がある上,本件におけるAのうつ病が業務と無関係に発病したものではなく,その後も,心理的負荷の強度が総合評価で「強」と評価することができる業務が継続し,Aのうつ病が悪化して自殺を図り死亡するに至ったことを踏まえれば 「特別な出来事」がなければAのうつ病の悪化による自殺に業務起因性を認めないとすることは,かえって,労災保険制度の趣旨に反する結果を招くということもできる。そうすると,本件において「特別な出来事」を要件とする認定基準に依拠して,Aのうつ病の悪化及び自殺の業務起因性を否定する控訴人の主張は,採用することができない。

 以上のように、既往症を持つ労働者に労災認定が認められるためには、必ず、「特別な出来事」が必要ということまではできないとしています。

では、何故、今回、上記判例から3週間後の判決につづき、昨日の高裁判決でも同様な判断がなされなかったのでしょうか?

遺族側も、上記判例を基に争ったとしていますが、裁判所は今回の事件と判例の事件につていは、その内容が相違するとして遺族側の主張を退けたということです。

どういうことかというと、

個人的見解としては、今回の記事の前半でも説明した、被害者個人の労働者が出来事をどう受け止めたかではなく、同種の労働者がどのように受け止めるかにより心理的負荷の程度を評価することが客観的評価に資するという基準の考え方により判断が分かれたのではないかと思っています。

どれだけの違いがあるかは、今回の事件の詳細がわからないため私も不思議ですが、

上述の控訴審判決判例の原審でも、次のように述べて労働者側の主張を認めています。

Aのうつ病は質的にも量的にも過重な労働に従事する中で増悪し,Aの心理的負荷は,同種の平均的労働者によっても一般に精神障害を発病して死亡に至らせる危険性を有するものであったといえるから,Aの業務による心理的負荷とAがうつ病の増悪により自殺を図り死亡したこととの間に相当因果関係を認めるのが相当であり,Aの自殺による死亡には業務起因性が認められる。

今回の事件の高裁判決が、一審判決と違い、「退職強要はなかった」と結論付けたということが、その基準から導かれた可能性が高いと思います。

最後になりましたが、参考までに、現代的な疾病である過労死や過労自殺の事例ではありますが、興味深いことが書いてあった本の内容を紹介します。

現代的な疾病である過労死や過労自殺の事例の場合、因果関係の「一般人」とは、同僚労働者であるとする考え方を認定基準に導入しています。しかし、最高裁判所は、第一義的には、「労働者本人」の事情を重し、まず「労働者本人」が受けたストレスなどを労働者本人の立場で打撃が通常から強かったか否かで判定する態度をとるようになりました。

 (「最新 労働災害実務ガイドブック」 弁護士 新川晴美著 日本法令

遺族側は、上告の構えなので、逆転の可能性もあるかもしれませんね。