職務発明 その3 もう改正?

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前回の職務発明の記事では、平成16年改正の内容について簡単にお伝えしました。

今回はシリーズ最終回の予定でしたが、前回の平成16年改正の補足説明と最新の法改正に至る経緯の内容についてお話ししていこうと思います。

 前回お伝えした様に、モデル裁判例であるオリンパス光学工業事件最高裁判決以降、青色ダイオード職務発明について争われた日亜化学工業事件(判決は604億円の認容,その一部請求として 200億円を認定、高裁で被告会社が原告に6億857万円を支払うことで和解)をはじめ発明者に対する高額請求認容判決が続いた(但し、上記日亜化学工業事件の認容額は異例の高額)こともあり、使用者側としては、「(契約)、勤務規則その他の定め」で定めた金額を支払っていただけでは、訴訟を起こされるリスクの予測可能性が困難であるとして、「相当の対価」については全面的に契約の原則である労使私的自治の原則に委ねるべきであるという声が産業界から相次いだためとされています。

 

そういうわけで、平成16年改正では、発明者側に対価請求権を存在させたままの状態で、その法的予測可能性を担保するため「相当の対価」については、労使間による自主的な取り決めを尊重するという意味で、できるだけ法による過剰な介入を回避することとし、労働者と使用者という労働現場における立場の相違からくる情報の質や量、交渉力の格差から起こりうる発明者側のインセンティブの不当な低廉化の事態に対する予防策として、「契約、勤務規則その他の定めにおいて、従業者等が支払を受けることができる対価について定めた場合には、原則としてその定めたところに基づき決定される対価を「相当の対価」とすることができる」こととしながらも、それが「相当の対価」と認められるためには、その対価が決定されて支払われるまでの全過程を総合的に評価して不合理と認められるものであってはならないこととされました。

平成16年9月特許庁により作成された「新職務発明制度における手続き事例集」では、

なお、使用者等と従業者等との間の自主的な取決めを出来る限り尊重し、法が過剰に介入することを防止する観点から、不合理と認められるか否かは、自主的な取決めから対価の支払までの全過程のうち、特に手続的な要素、具体的には使用者等と従業者等との間の協議の状況などを重視して判断することとしています。これにより、使用者等と従業者等による十分な話合いが促されるものと考えられます。この結果使用者等と従業者等が共に協力しあって研究開発活動を活発化していく環境が整備されることが期待されます。(中略)

全過程の中には、どのような手続が行われたのかという意味における手続面の各要素及び対価を決定する基準の内容や最終的に決定された対価の額といった実体面の各要素双方が含まれます。ただし、不合理と認められるものであるか否かの判断において、実体面の要素は、手続面の要素と比較して、補完的に考慮されます。なお、「その定めたところにより対価を支払うこと」についての判断は、個々の職務発明ごとに行われます。 

とし、そのようにして決められた「相当の対価」が手続き面、実態面双方から考慮して不合理と認められる場合には、従来の職務発明制度と同様、法が決定する対価を「相当の対価」とするとしており、この新たに規定された第35条の4項、5項が従来の制度と異なる大きな改正点であると説明しています。

尚、同事例集は、改正後の第35条第4項*1に規定されている手続の「…協議の状況…」「…開示の状況…」及び「…意見の聴取の状況…」については例示であるとしながら、特定の 職務発明に係る対価が決定されて支払われるまでの全過程のうち、特に重視して考慮される手続的な要素を例示していると説明しています。

つまり、「相当の対価」の基準の作成手続に発明者を参加させることにより労使双方、特に発明者の納得性を高め「相当の対価」についての紛争防止につなげ、我国の産業の発展に資するという法の趣旨に寄与することができる・・・という内容の改正です。

そのことが、この平成16年改正で、「相当の対価」について労働法のプロセス審査が取り入れられたと言われています。*2

以上、説明してきた通り、平成16年改正では、第35条第4項に沿って作成された「相当の対価」についての基準が不合理と認められなければ、使用者が作成した「契約・勤務規則その他の定め」に規定した額が原則「相当の対価」とされ、司法が介入することを避けることができることとなるわけです。

さて、この平成16年改正で、産業界が求める予測可能性が担保され、労使間での紛争を未然に防ぐことができたのでしょうか?

前回ご説明した通り、残念ながら法の適用に関する基準により、この平成16年改正法で判断された判例は少なく蓄積がない状態が現状です。

同事例集では、法的予測可能性を高めるために、不合理性の判断において考慮される要素につき、「不合理性を肯定する方向に働く」「不合理性を否定する方向に働く」という言葉を用い、各々の具体的ケースについてQ&A方式で解説がなされていますので、「相当の対価」の基準作成についてのある程度の目安となっていることは確かだと思います。

<参考:特許庁ホームページ:企業等における新職務発明制度への取組状況について

企業等における新職務発明制度への取組状況について | 経済産業省 特許庁

職務発明制度に対する企業等の取組について把握するために、日本において平成16年に出願公開された特許出願が10件以上ある企業、大学、公的機関2019法人を対象として、平成18年1月にアンケート調査を行い、1093法人からの有効回答を得た。(大企業775法人、中小企業257法人、大学・公的機関61法人)
このアンケート調査結果より、各企業等における新職務発明制度に対応した各企業の取組は、順調に進んでいるものと考えられる

<別紙1:抜粋>

(2)従来の規程からの変更点 
規程が既にあった企業等において、新職務発明制度に対応して規程を改定した点は、「対価の算定方法の変更」62.3%(540 法人)が最も多く、続いて、「従業者等に対する意見聴取の項目を追加」58.4%(506 法人)であった。


(3)新規程の施行前に承継した発明の取扱い 
新規規程施行後に支払う対価について新規程を適用する企業等65.0%(595 法人)に上り、うち 55 法人は既に支払い済みの対価についても再計算し、遡って支払っている。他方、旧規程を全面的に適用する企業等は 15.6%(143 法人)であった。

前回ご紹介した独立行政法人 労働政策研究・研修機構の調査データの結果でも、概して大規模企業については、改正法を踏まえた基準の見直し等を含む手続き面の整備が進んでいる状況がうかがえる結果となっています。

しかし、中小企業においては、なお、「相当の対価」についての規定の整備状況は芳しくないと言われていて、従前のやり方同様、使用者が一方的に「相当の対価」を支払って済ませているような場合には、改正法35条第5項*3が適用され、司法により「相当の対価」が決定さのれる危険を大いにはらんでいるということになります。その場合は、法の適用基準は関係なく、旧法の第4項であろうが、改正法の第5項であろうが、従前の判例法理により、多額の請求認容につながるリスクがあるということになります。

ただし、大規模企業を中心としてではありますが、この平成16年改正法を踏まえた手続面の改善は順調に進んでいるということであり、従前のような大型請求訴訟にまで発展する可能性は低減していると言えるのかもしれません。

では、何故、この平成16年改正の効果が期待されている中で、判例蓄積を待つこともなく、今回の新たな平成27年改正がなされたのでしょうか?

話を先述の「手続事例集」の戻すと、

総合的な判断においては、全過程のうち手続面の要素が重視され、実体面の要素が補完的に考慮されます。一般に、手続がそれ自体としては不合理とは認められない場合には、対価が低額であっても不合理であると評価される可能性は低いと考えられますが、最終的に算定された対価の額が過度に低額であるような場合には、総合的な判断において不合理であると評価される可能性があると考えられます。また、不合理性の判断においては、全過程の中の一つの要素が不合理性を肯定する方向に働いたとしても、それが結論において不合理性を肯定することに直結するわけではありません。

 

或いは、平成16年改正においては、手続き重視の考え、即ち、労働法的アプローチであるプロセス審査論が取り入れられたと言われているということを書きましたが、

特許法第35条において規定されている「契約、勤務規則その他の定め」の中には、労働協約就業規則も含まれると一般的に解釈されており、「基準」を労働協約就業規則で定めることも可能です。この場合、労働協約就業規則が有効に成立していれば、これらの「基準」に定められた内容について労働法上の効力が発生することは事実ですが、そのことをもって直ちに特許法上の不合理性の判断においても不合理性が否定されるわけではありません。当該「基準」の不合理性の判断は、「基準」の有効性とは別に、特許法第35条第4項に基づいて判断されます。したがって、「基準」を労働協約就業規則で定めたとしても、常に不合理性が否定されるものではありません。

第1回目の記事の繰り返しとなりますが、特許法29条1項は、

業務上利用することができる発明をした者は、特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明等一部の場合を除き、その発明について特許を受けることができる。

特許権の発明者帰属を認めています。

従って、会社従業員が職務上発明を行った場合でも、特許を受ける権利は従業員個人に原始的に帰属します。そして、モデル裁判例であるオリンパス光学工業事件の控訴審判決(東京高裁平成13年5月22日判決)は、使用者が勤務規則等において、特許権の承継等に関して一方的に定めることができることを認めたうえで、特許法35条3項、4項は強行規定であるから、上記定めがこれらに反することができないことは明らかである。

と判事しています。

つまり、労働法上は有効な成立要件である合意の原則の定めがあったとしても、強行規定である特許法35条の3項、4項には反することができないということです。

というこは、同じ強行規定についての労働基準法上は有効であっても、特許法上の不合理判断については別意に介されるとことがあるといっているのです。

あくまで、同条3項(昭和34年法)の対価請求権は特許法が認める発明者固有の権利であり、それが職務上の発明という労働契約の役務提供の過程でなされたものであったとしても、産業の発展に資するという特許法の目的のため労使間の利害を調整して決定されなければならず、たとえそれが形式上労使合意の基準であっても、労使間の力関係を考慮して、その額についての不合理性の判断については司法審査に服さなければならないということで理解してよいのでしょうか?

ともあれ、この紛争防止効果が期待されている平成16年改正の中にあっても、完全に労使間の私的自治に委ねられているわけではなく、つまり、完全に司法介入の可能性がなくなったわけでもなく、法的予見可能性がいまだ不十分であり、手続き重視の改正法の下でも、対価の額が僅少だということで訴訟を提起されれば、前述したように、従来の裁判例に基づき巨額の請求認容につながる恐れもあり

そのようなことになれば企業側は安全サイドに立った体制を構築せざるを得ず、そのため運用管理コストばかりが嵩んで、従業者へのインセンティブやその他の経営活動に充てるべき資源が無駄になっていること、発明者だけを特別に遇することにより不公平感が生じ、チームワークを阻害する事態が生じてもそれを変更できないこと、そもそもリスクを負って研究開発に取り組む企業がその成果を享受するのは当然の事であり、複雑化する社会において企業の創意工夫に任されるべき従業員のインセンティブ施策に法が介入するのは妥当ではなく、日本の産業競争力強化を阻害する要因となっていること、他方優秀な技術者を惹きつけ、従業者のモチベーションを引き上げるようなインセンティブ施策を講じなければ企業が競争社会を勝ち抜くことはできないのだから、法の強制がなくなっても従業者の不利益になることはない・・・などと主張し、権利そのものを従業者帰属から法人帰属へと転換し、インセンティブ施策への法の介入となる相当対価請求権は撤廃すべきだという要望が産業界から出されていたことがきっかけとなったとされています。(注ア)

今回は、最新改正内容まで解説に入る予定でしたが、一回分の記事のスペースの事を考え、内容については、次回記事で簡単に説明して今回のテーマを終了する予定です。

 

<参考文献>

(論文)

(注ア)平成27年職務発明制度改正についての一考察」井上 由里加 一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授

職務発明制度の平成16年法改正後の運用について」帖佐 隆 久留米大学法学部教授

(資料)

「新職務発明制度における手続き事例集」特許庁

「企業等における新職務発明制度への取組状況について」(別紙1)特許庁

 

*1: 契約、勤務規則そ他定めにおいて前項対価について定める場合に、対価を決定するため基準策定に際して使用者等と従業者等と間で行われる協議状況、策定された当該基準開示状況、対価額算定について行われる従業者等から意見聴取状況等を考慮して、その定めたところにより対価を支払うことが不合理と認められるもであってならない。

*2:労働法の実務では、解雇を例にすると、解雇という事実自体より、そこに至るあらゆるプロセスを重視して違法性が判断されるというような考え。

*3:前項対価について定めがない場合又は、その定めたところにより対価を支払うことが同項規定により不合理と認められる場合には、第三項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇そ他の事情を考慮して定めなければならない。